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  • Niko

これが合理的な私たち


私たちはなぜ、あなたたちの怒りや不満の対象になるのだろう?なぜあなたたちの悲しみや憤怒、不安を押し付けられるのだろう?なぜ、あなたたちの自分勝手な行いで苦しめられるのだろう?なぜ、あなたたちの人生のゲームの駒にされているのだろう?ボード上を絶えず動き回ったり、ゲームから追い出されたり、他の人に取り替えられたりして。なぜ私たちは精神も心も持たない、ただの肉体として見られているのだろう?どうしてあなたは、私たちが望む方法でこの社会に貢献できるかどうかを決めるのだろう?どうして私たちを操り、無理強いし、傷つけ、殺すのだろう?この世界はまさに私たちなしでは存在し得ないはずでしょう?あなたの母親や姉妹で、同じこの世界に生きる人間のはずでしょう?どうして私たちはあなたから受けた暴力や傷について話しても、信じてもらえず、聞いてもらえないのだろう?


あなたたちは、私たちの存在自体に何らかの形で脅かされるから、哀れなことに私たちを黙らせておかなければならないと感じている。どういうわけか、あなたは私たちが好きなようにする自由があってはならないのだと信じている。自分の好きなように話し、感じ、着飾り、愛し、そして拒否する自由が私たちにあってはいけないのだと。どういうわけか、あなたたちは私たちが抑圧され、沈黙し、従順であるべきだと信じている。私たちが発言権を持ってはいけないと信じている。私たちは自分の考えを持ってはいけないし、私たち一人一人があなたの好みに合わせて小さな箱に入れられなければならないのだと。「もっと笑ってよ、ただの冗談だ」と言われてきた。「そんなに真剣に考えないで、リラックスしなよ」とあなたたちはからかう。あなたは私たちが自分を満足させ、義務を果たすために存在していると信じている。


この地球上での私たちの残りの人生に影響するほどの変化を引き起こす瞬間は、あなたたちが引き起こしているのに責任を取ることを拒否している時だ。なぜなら、あなたたちは自分の行動に対して責任を負うことなんて決してしないから。よくもそんなことができたものだ。あなたたちは私たちや世界が、あなたたちに何か恩でもあると思っている。私たちと私たちの身体に対して権利があると信じている。そして、社会構造もそれを信じている。みんなを守るために作られた構造そのものが、絶えず私たちの顔に泥を塗る。私たちがあなたの気分を害したり、怒らせたり、挑発したりするために何かをした可能性はないのではないか?つまり、これから起こる何かしらのことについて、私たちのせいにされるのではないか。自分のことを大げさに言い過ぎじゃない?今までに何人と付き合ってたの?どんな服を着ていたの?


言い訳だ。絶え間なく続く言い訳。あなたたちが所謂苦しんだり感じたりした様々な小さなことは、私たちを貶めるために利用される可能性がある。彼は酔っていた。彼女に振られた。母親は彼の側に居てやらず、彼を拒否した。社会構造のあらゆる同情は、私たちではなくあなたたちに向けられる。私たちは軽視され、嘲笑され、ちっぽけな存在とみなされる。どういうわけか私たちは敵意や非難に直面して何か起こっても、罪悪感を感じさせられる。疲れた。ただ疲れた。私たちを抑圧するためにその基盤が作られた世界と社会に疲れた。私たちの考えや感情は、あなたたちにはどうでもいいことだ。重要なことじゃない。


私たちが泣いて助けを求めても、無視され、かき消される。会話の中に自分の意見をはさんだ途端に、頭がおかしいという烙印を押される。「男嫌い」私たちはそう呼ばれる。「感情的になりすぎだ」「もう少し相手の気持ちに寄り添うべきだ」私たちは絶えず目をつけられたり、あれこれ言われたりしても、沈黙を守り、頷き、足元を見ていることが望まれる。あなたたちが、私たちが何かをするのに自分が意見すべきだと信じている場合でもさえも。私たちが大切にする意見はあなたたちのものだけで、その意見に耳を傾けるべきだと信じている場合でさえも。


あなたたちが「こうすべき」「すべきではない」と考えていることが何であろうが、私たちはその理想を実現できることはないだろう。あることを言われたかと思ったら、次には別のことを言われる。明るい色の服やアクセサリーを身につけると、「気合い入れすぎ」と揶揄される。暗い色の服を着ると、「もっとお洒落しなよ」と言われる。肌を見せると、「もっと隠しなよ、自分を大切にしなよ」と言われ、露出を控えると、「ちょっとは肌見せしてみれば」と言われる。私たちは決して十分だとみなされない。私たちはあなたたちの理想や基準、欲求を決して満たすことはない。でも、私たちはあなたたちをもてなしたり、喜ばせたりするためにここにいるわけではない。


あなたたちは、自分が私たちに加えた暴力や傷について責任を問われるとは、夢にも思っていない。あなたたち以上に、私たちを信じている人がいるだろうか。結局のところ、あなたたちは私たちが住んでいる世界の頂点にいる。まさにそのトップ、そこは甘えのために作りあげた場所。あなたたちにとって私たちは皆同じであり、取り替え可能な肉体にすぎない。あなたたちは私たち一人一人が自分自身の考え、心、魂を持っていることを忘れている。私たちに自分自身の欲望、欲求、願望があるということを。つまり私たちは、あなたたちの人生とは別に、私たち自身の人生を持っているということを。


私たちは、あなたのために存在しているんじゃない。私たちは、あなたたちを満足させるため、喜ばせるため、あなたたちの心の穴を満たすため、あなたたちが自分に権利があると思っていることのために存在しているわけではない。もっと論理的であるように、感情的すぎないように、敏感すぎないように、理性的であるようにと言われるたび、頭の中で私たちはいつも筋を通すことを思う。あなたたちの手にかかって、私たちの身に降りかかったことについて何らかの形で非難されるたびに。私たちは怒り、不満、悲しみ、怒りを覚える。あなたたちが私たちを貶め、私たちの闘いに抵抗すればするほど、私たちはあなたたちと、またあなたたちを守り甘やかす構造に逆らうのが難しくなる。私たちは、ないものにされることや沈黙させられることにうんざりだ。これが合理的な私たちだ。



About Niko (She/Her) 

主に日本で育った、アメリカ在住の大学生。フェミニズム、メンタルヘルスや日米の社会・政治問題に関心が高く、実体験をもとに声を上げることで周囲をインスパイアしたいと活動する。




著者 Niko

翻訳 小泉順美

編集 岡田笑瑠

グラフィック 鹿野里美

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