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  • Kiana

USネイビーの彼と向き合う長崎原爆資料館


アメリカ海軍に勤務するアメリカ人の彼の転勤で、来年から長崎に住むことになった。

彼の船が佐世保港に寄ったので、せっかくならと日帰りで初めて長崎に向かった。


私は、広島と長崎どちらの原爆資料館にも行ったことがなかった。

この日は始発便で長崎に向かい、最終の飛行機で東京に戻る予定だったので、半日しか時間がなかった。でも佐世保に引っ越す前に、どうしても原爆資料館に行きたかった。

行って、お互いの価値観を知りたかった。私自身がどう思うか知りたかった。


アメリカ合衆国海兵隊の基地がある山口県の岩国で育った彼は、広島にも長崎にも行ったことがあって、第二次世界大戦に関しては私よりも多くの事実を、彼自身の目で見て学んできている。彼に比べて、私の方が原爆については特に、ずっと知識が少ないと思う。


佐世保バーガーを頬張って一息ついて、弓張岳で佐世保の街を眺めた。美しい小さな街だ。

佐世保からは、山を越えて長崎市に入る。


長崎市の真ん中にある原爆資料館。

くるくるとした螺旋状のスロープに描かれた年号を見て時代を遡っていくと、1945年の「あの日の長崎」に導かれる。


壊れた建物、顔のない聖母像、黒焦げになった人の写真。


中に入って、彼の艦艇の同僚に何人も会った。

彼が話しかけなかった人の中にも、同じ艦艇や艦隊で働いている人が何人もいたという。


私はちょっと驚いた。嬉しいような、複雑なような、驚き。

アメリカ人の彼らが興味を持ってくれたことは嬉しかった。

でも、彼らが何を見たくて来たのかを知るのは少し怖かった。


彼が、知り合いに会うたびに尋ねる。

「どう思った?」

彼らはみんな揃いも揃って、私と目が合わないように私の方に目線を落とした。


一人は言った。

「悲しいね」

他のみんなは何も言わなかった。


彼が私のために質問をしていたのは分かっていたけれど、ちょっと酷だと思った。

「ねえ、あなたは私がみんなの感想に興味があるから聞いていたんでしょ?

 でもさ、日本人の私の前で正直な感想を言うのは難しいよ。だから聞かなくていいよ。

 あなたの意見だけで私は十分」


彼は言う。

「分かった。君がそう言うなら、もう聞かない。たしかに答えにくいよね。

 でも、残念ながら僕と同じような意見の人は少ないと思う。ところで君はどう思った?」


私は、私は…分からなかった。

「私もあなたと同じで、原爆による甚大な被害は悲しいし、それが2発だったことも許せない。被爆者やその家族の悲しみ、憎しみ、苦労は計り知れないものだし、絶対に起こるべきではなかった。でも、私はまだ十分に原爆のことも、当時の日米間で他に戦争を終わらせる方法があったのかも分からない。間違いなく原爆以外の方法を取れたとは思いたいけど、私には日本とアメリカがどうすべきだったのかは分からない」


彼にはその時には言えなかったけれど、米軍人である彼の妻になったからこそ、私の立場は難しくなったし、日本人だけの立場で考えるべき人間でもなくなった。日本に原爆を落とした国の、しかもその国の軍人の妻になって、どちらの考えも理解すべき立場になったから。2つの国がどれだけ違うのかもわかるようになっていくからこそ、簡単には答えは出ない。



私は、まだ答えが出ていない。彼のように、明確な意見としてまだ言えない。

それでもまだ私は答えを求めて考えたい。答えがあるのかどうかもわからないけれど。



資料館を出て、思い出した。


大学時代に、ある政治学の教授が言っていた。

「みなさんね、歴史を学んで、過去のことばかり研究して楽しいのか、何か進歩は生まれるのか、なんて人は言うわけですよ。でも僕は思うんです。人は過去からしか学べないでしょう。未来なんて誰にもわからないんだから。だから、できるだけ多くのことを過去から学んで、過ちだったら繰り返さないように、素晴らしいことならそれをもう一度起こせるように、我々は学ばなきゃいけないんですよ」


「過ち」ととらえるか、「素晴らしい出来事」ととらえるかは、人それぞれだ。

たとえ何十万人を殺して、何百万人を傷つけた原爆だって、ある人には憎しみの対象で、ある人には戦争を早く終わらせた英雄であるように。


物事はなんでもとらえ方次第かもしれない。過去の過ちも、栄光も。

でも、その一つ一つの出来事に自分はどう思うか、自分だったらどうするか。そうやって思考をめぐらせて「向き合う」ことに、過去という歴史を学ぶ意味があるのではないだろうか。



眼鏡橋から、のどかな長崎市内を眺めて切なくなる。

この美しい小さな街が、キノコ雲に覆われて死の世界に包まれていた日々があるなんて。


彼が言う。

「原爆ってさ、もしかして3.11と少し似た存在なのかな。もちろん原爆はアメリカ人が起こした、人が起こしたことだから、そこは明確に違うんだけど。でもなんていうか、日本人にとってアイコニックな存在というか、象徴的な存在なのかなって思った。みんなが同じ悲しみを共有していて、みんなが繰り返したくないと思ってることだから。


僕も3.11の時は岩国にいたから、自分の経験として残っているからわかるけど、原爆については、やっぱりどれだけ考えても日本人と全く同じ気持ちにはなれないんだなと思ってる。

広島にも行ったことあるけど、どちらの原爆資料館も、東北で見た、石巻や閖上の3.11のミュージアムと展示の感じとよく似ている。君にとってはどう?」


「私にとっても3.11は自分の経験でもあるし、あの日のことは今でもはっきり覚えてる。家族に被爆者もいないから、原爆のことは想像でしかないけれど。日本だけが経験した原爆、世界中が驚いた甚大な被害があった3.11は、たしかに日本人にとってどちらも象徴的な出来事かもしれないね。

私個人にとっては、どちらも決して忘れてはいけない、忘れるのが怖い出来事かな。繰り返すのが怖いから、忘れるのが怖い。そんな出来事かもしれない」


私はこれからもずっと、考える。

悲しい出来事に「向き合う」って、辛くて、悲しくて、考えても答えがないから、わけが分からなくて、考えても意味があるのかって思うこと。

それでもずっと毎年の原爆の日や3月11日、終戦記念日だとかに、ふと考えることができたら、それはあなたなりに「向き合っている」ってことだと思う。




著者 Kiana

編集 岡田笑瑠

グラフィック 鹿野里

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