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  • Kiana

私のその後5: 私、主役ときどき誰かのヒーロー

内容注意:性暴力について書かれています。


数年前、性暴力の被害に遭った時、私は働いていた会社に訴えた。というか、助けを求めたことがある。だが、結果的にその後に起きた連鎖的な出来事と関係のない仕事のストレスで、もうその会社は辞めてしまった。


事件直後の私は会社も社会のルールも、女性を道具のように扱う動物のような一部の男性も、心の底から許せなかった。怒りと憎しみにまみれていた。当時の私は、本当にトゲトゲしていたと思う。ストレスで痩せた不健康な見た目も、ズタボロになった心を隠す言葉も、何もかもトゲトゲしていた。


そんな時期の私のことも、ずっと見捨てずにいてくれた大事な友達の一人から最近、

事件後の私の行動に勇気をもらったと言われた。


涙が出るほど嬉しかった。


私はといえば、キャリアの王道を外れたし、自力で這い上がっていかないと年収は上がっていかない世界に飛び込んだし、事件当時に毎日通勤していた東京に住むのが怖くなってだんだんと田舎に引っ越しているし、とりあえず今の自分にとって楽な方に流れているんじゃないかと思っていた。何もかもあの事件のせいにできてしまうし、あの事件がきっかけで他に嫌だったことからも逃げ出したんじゃないか、なんて思っていた。


でも違った。

あの頃から今まで私はずっと、きちんと誰かの記憶に刻まれるような勇気ある行動をして、精一杯生きていた。


生きていてよかった。

あの時汚されてしまった自分の体を、傷つけられた自分の心を、自分で捨ててしまうようなことをしなくてよかった。


私は生きていてよかったんだ、と思った。


勇気を出して会社に助けを求めた後の私だって、楽な方に流れたわけでも、逃げ出したわけでもない。ただただ、どれも結果的に私には必要ないものだから手放しただけ。


与えられた王道を歩くのは好きじゃなくて、どちらかといえば道は作りたい方だし、

決まった給与ではなくて、自分だからできる仕事で稼ぎたいと思っているから今も起業を目指しているわけだし、東京の都心は田舎育ちの私の肌に合わなかったし、友人に「あなたには日本が狭すぎるんだよ」と言われるくらい、私はいろんな世界が見たい人間だし、

黙って大人しく真面目に働いていれば、お給料も生活も社会的地位も守られる大企業を辞めることだって、全然簡単な決断ではない。


ほらね、私には必要なかったんだって。

私にはもっと似合う場所があるって思えたから、「もうここには用はない」って思ったから抜け出しただけ。


ほらね、別にあの事件はこの中のどの理由にも出てこなかった。

ただあの事件のせいで少し時期が早まっただけ。あの事件がきっかけで、いろんな社会の問題だったり、自分の感情に向き合う機会が増えて、気づいていたはずのいろんなことから目を背けるのを辞めただけ。それだけ。


私はちゃんと、私の人生を歩んできている。


別に彼らに人生を変えられたなんて、今はもう、これっぽっちも思っていない。

人生めちゃくちゃにもされていないし、試練の裏返しでチャンスを与えられたとも思っていない。私は立ち直れたし、重度のうつ病も治したし、やりたいこともある。どの瞬間も、彼らに影響された「その後の人生」ではなくて、私のための人生。


被害に遭ってまもなくは確かに、「他の社員を守るために」とか「他の女性を守るために」とか言わないと生きていけないくらい辛かったけど、いつの間にか私はきちんとまた「私のために」生きることができるようになった。


誰かのために頑張らなくても、自分のためにがむしゃらに生きていても、どこかで誰かの役に立っていたり、ちょっとだけ背中を押しているのかもしれない。

自分の正義のためにがむしゃらだった私の背中を、親友が見ていてくれたように。


こんな時になぜか私の脳裏には、渋谷のスクランブル交差点がよぎる。


いろんな人がいて、みんながそれぞれの人生を生きていて、

ハッピーな顔だったりそうじゃなかったり、一人だったり誰かと一緒だったり、忙しそうに電話しながら歩くスーツの人もいれば、爆音で音楽を流していそうな楽しそうな服装の人もいる。いろんな見た目のいろんな状況のいろんな表情の人がいる。右に行く人もいれば左に行く人もいるし、直進する人もいれば、地図を見て元来た道を引き返す人もいる。そして意外とみんな、ぶつからずに歩けるくらいには適度に周りを見ている。


肌に合わないと言ったばかりの東京都心の中で、私にとって一番特別な光景。

人間社会の縮図のような感じがして、ときどき眺めたくもなるし、一部にもなりたくなるし、やっぱり一部になりたくないような気もする、そんな光景。


その中にはもしかしたら、私のように誰かに大きな傷跡を残された人もいるかもしれないし、逆に傷を負わせてしまった人も歩いているかもしれない。加害者の彼らは、私にとっては何があってもヒーローにならないけれど、彼らもいつか誰かのヒーローになる日が来るのかもしれない。そんなことを、スクランブル交差点を見るたびに私はいつも考える。


一生懸命に、がむしゃらに、ただひたすら自分の人生を生きていれば

スクランブル交差点で目を惹くような人を見かける時のように、誰かが私たちを見つけて、私たちは知らないうちに誰かのヒーローになっているのかもしれない。


私もまた、やっと取り戻せた人生のオーナーシップを大事にしながら、私の人生を胸を張って生きていきたい。





著者 Kiana

編集 岡田笑瑠

グラフィック 最上えみり

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