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  • Himawari Murano

人と違っていいんだよ。それはあなたのものだから。


突然だが、私は高校を卒業後、アメリカに滞在した。その後、日本でアルバイト、会社員を経験したが退職。今は、家族経営で個人事業主として働いている他、知り合いの飲食店を手伝ったり、自分の好きなコーチングや、ライティングで僅かながらもお金をいただいている。


そんな様々なお仕事は、違う良さがあって気持ちを切り替えられる。


そんな中、兄にはいつも、「もっとちゃんと生きろ」と怒られる。「ちゃんと会社員になって、結婚して子どもも早く産め」なんて、私にとってはとても余計なことを言ってくる。価値観を押し付けられているようで不快なのだ。


兄の余計な言葉にうんざりすると同時に、この生き方が認められる社会がまだ浸透していないことを証拠として突き付けられる。そんな風に感じざるを得ないのだ。


私は、いつも日本ではマジョリティには属さないことの方が多い気がしている。


母親には、「あなたは気が強いから、自分の意見を言えば言うほど、損をするようにできているよ」と教わっているため、ソフトな女の人を演じてきた。違和感を感じるシチュエーションでは自分の意見を隠し、否定できない自分を責める時だってある。それでバランスを崩して落ち込む。「メンヘラ」と揶揄する言葉がでてきた当時は、自分の暗い部分を周囲に話すことで離れていってしまうことを恐れた。落ち込む姿は誰にも見せなかった。そんな悪循環が続いた10代。


自分がいたい自分は、まだこの国では認められないのだろう。それでも実際は、少数派だと感じているこの気持ち、同じように感じている人はたくさんいるんじゃないか。


だから、精神疾患の有病率が欧米より低くても、自殺率が多いのか。そんなことも考えだす。真面目になりすぎて、心に余裕の無さを感じる。


結局、この国で生きやすさを選ぶには、多数派としての道を歩む方が健全なのだと思うと、なんとも言えない気持ちになる。


そんな風に考え過ぎて、優しさや楽しさを見出せなくなることは度々あった。


それと同時に、「今は何やってるの?」


初めて会った人に、最初にかけられるこの言葉。


この言葉は、初めて会う人と話をする時に話題を広げるキッカケになる。

だから聞く側にも話題作りのための優しさがあったり、その言葉に大きな意味を持っていないことも分かる。だけど、言われるたびに、どうしても窮屈に感じてしまう。


答えつつ「何をやってたとしても、いいじゃないか」、と思う自分がいる。その度に、拗れているなぁと自分に思う。


「もっと何か話せるような大きな人にならないと」「そういうレッテルで仲良くなるか決められるのかなぁ」、と過剰ながらに思ってしまっていた。そして、どれほど自分が職歴や学歴にコンプレックスを感じているのか、理解させられる。


その度に、兄の「ちゃんとしろ」と言う言葉が、頭の中に降ってくる。そんな風に、日本での多数派の認められる、「ちゃんと」を考え続けてきた。頭がカチコチになる。でもその、「ちゃんと」って、なんなんだろう。


誰のための、何のため?


最近また考えすぎるようになって、よく分からなくなっていた。

そのタイミングで仕事が変わり、元々計画していたヨーロッパの1人旅があった。いろんな国に行く。


ミックスされている場所に行くと、そこには多数派なんてものはなく、マイノリティがあることは当たり前な空気感が、私の「ちゃんと生きてない自分」のマインドを朗らかにしてくれる。


日本では「少数派」として感じる自分も、ここにいると「普通」になれるマインドが好きなのだ。


3年間コロナの影響もあり、海外に行かなかった。

田舎を通る鉄道で窓を見ながら、「ずっとこうしたかったんだなぁ」と思った。


何の否定もされずに自分のしたいことができる時間は、とにかく贅沢だった。


そして周りの価値観に合わせようとしすぎてバランスが取れず、ちょっぴり疲れていたことに気がつく。


嫌なことばかり感じていた。周囲の何気ない一言に傷つき、心がチクチクしていた。気がつかないうちに自分の存在を否定されているように感じるほど、私は余裕を失っていた。


だからこそ、人や、場所、物に対して、距離感のバランスを作ることは、とても大切なことだと離れてみて感じる。


日々に追われると、頑張っていることを自分で認識しなくなる。当たり前だと思うようになる。自分を褒めたり、時間を作ること私たちは忘れてしまう。


人々は、子育てや、仕事、家事、さまざまな環境がある。なかなか時間を作ることは難しい。


そんな時、私はジャーナリングをする。好きなアイスを山ほど食べる。早起きして、走りに行く。部屋を片付ける、美味しいご飯を食べる。メディテーションする。泣ける映画を見て号泣する。嫌だと思うことはしない。無理やりでも、内に向かおうとする。頑張るのをやめる。


そうすると自分が何を望んで捨てるか、見えてきた。捨てたいと思うものを、わざわざ無理して望もうとしなくてもいい。


まだ疲れていないから大丈夫。まだ元気だから大丈夫。これが普通なんだから。そんな風に思っても一度、リセットする時間はやっぱり必要だ。


私たちは何かをすることに、否定される権利も、否定する権利もないのだ。


誰でもない自分のままでいたい。

人と違っていいんだよ。個性はあなたのものだから。


やりたいことをやりたいと自分で認められるように、時には自分を甘やかしてね。


向けるマインドの矛先は、「どういなければいけないか」よりも「どうしたいか」だ。




著者 村野向日葵

編集 岡田笑瑠

グラフィック Claudia MacPhail

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