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  • Kiana

迷惑行為動画を投稿する若者たちの深層心理


最近世間を騒がせている、飲食店などで撮影された迷惑行為動画。

多くの人がそう感じているように、私も怒りを覚える。そんな中で、私の友人がそれについて面白い考察をしていたので、そこから考えた私たちの倫理の話をしたい。


数カ国で大きく報道された日本の若者たちの愚行。

湯呑みを舐めた青年一人だけだと思っていたら、次々と違う人による様々な内容の迷惑行為が出てきてがっかりした。怖くて飲食店に気軽に行けないと思った人も、私だけではないだろう。


毎日毎日新しい動画が拡散されてうんざりする。恥ずかしい。

「なんでこんなことしちゃうの?!理解できない!腹立たしい!」

そんな気持ちを私も抱いたし、毎日のニュースで放映される街頭インタビューもみんな同じことを言っていた。


ある日、友人と食事をしていた時にこのニュースの話になって、彼女は冷静にこんなことを言った。

「迷惑行為動画。あれはある意味での平和ボケだ、と私は思った」


私はすぐさま反射的に「え!全然平和じゃなくない?どういうこと?!」と言った。


彼女のロジックはこうだ。


「あんなことをするのってさ、自分の前に湯呑み舐めた人とか、食べ物を汚した人がいないって確信してるからできることだよね。誰か自分よりも先に同じように湯呑みを舐めた人がいるかもとか、食器を洗っている水が汚染されているかもとか、そんなことはありえないと彼らが信じられる世界線ってこと。それだけ彼らは日本が衛生的だって信じているのかなって。そういう意味では平和ボケじゃない?」


確かにそうかもしれない。そうでなければできないことかもしれない。湯呑みを舐めるのも、調味料を勝手に混ぜてしまうのも。


そんな平和ボケした彼らによって、私たちその他大勢の外食時の「平和」が壊されている。

この動画が大きなニュースになるまで「こんなことは日本ではありえない」と思っていた私たちも、彼らと同じように日本の衛生環境を信頼しきっていた平和ボケの一員かもしれない。


みんなで共有していた「平和ボケ」だからと言って、今回明らかになったたくさんの迷惑行為は簡単に許されるべきことではないと思う。そもそも全面的に信頼されている日本の衛生環境は、日本にいる私たち一人一人がマナーとモラルを持って維持してきた、みんなのものだ。身勝手な数人の手で損なわれるべきものではない。


みんなで作ったものを壊して、たくさんの人を悲しませて、悪いことをしたわけではない人に謝罪させて、何になるのだろう?


公園の砂場でみんなで作った砂のお城を、偶然サッカーボールをぶつけてしまって壊したら、小さい子だってきちんと謝れる。偶然ボールが当たって壊してしまっただけだとしても、悪いことをしたと反省できるし、多くの子はわざとやったりしない。小さい子でもわかる倫理道徳。他の人が一生懸命築いたもの、みんなの力で守っているものを壊してはいけない。


一連の動画に関する報道を見ていて、こんなふうに考えを巡らせていた。


迷惑行為をしてしまった青年たちは、衛生環境に平和ボケしていたのと同時に、SNSの中の世界で目立ちたいがために何が悪いことか、何が人を傷つけてしまうかという判断基準を見失ってしまったのかもしれない。「これくらい大丈夫」と、歪んだ価値観をユーモアだと勘違いしたのかもしれない。


もしかしたら、私たち一人一人も「これくらい大丈夫」と思っていた迷惑動画よりは目立たないことで、思わぬ誰かを悲しませたり傷つけているかもしれない。例えば、トイレや洗面所をきれいに使えないのだって次に使う人に不快な思いをさせるし、電車で飲み物をこぼしたままにしてしまうと駅員さんに余計な仕事を増やしてしまう。


今回の事件は、「これくらい大丈夫」の「これくらい」がSNSの広がりと共に狂うように拡大していった結果なのかもしれない。何がバズるかわからないチャンスに溢れた世界にいる私たちにとっては、「これくらい」を測るのは確かに難しいのかもしれない。


「これくらい大丈夫」

この物差しは人によって確かに違う。幸せの価値観や、好きになる人のタイプが違うのと同じで、人それぞれ。時代によっても変わる。でも倫理道徳は時代のせいにしなくても、もう少しみんなで共有できるはずだ。


「これくらい大丈夫」

「本当に大丈夫?その場をみんなにとって気持ちのいい場にするために頑張っている誰かにとっても大丈夫?」と私もできるだけ考えてみたい。





編集 Emiru Okada

グラフィック Claudia MacPhail

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