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  • Kiana

世知辛い時代に生きる、子どもたちと若者へ


ついに見てしまった。


ある日のカフェで、小学生の子どもが一人でカフェで勉強しているのを見た。


思わず「ああ、なんてこと」と声が漏れてしまった。

がっかりというか、悲しいというか。もちろんそれは小さな彼にではなく、社会に対して。


周りに彼の親のような人の姿は見当たらないし、コロナ禍でおなじみになった透明のパーテーションで区切られた一人用のカウンター席に座っていた。小学生と言っても、中学受験が近い高学年ではなくて、まだ小学校に入ったばかりの低学年くらいに見える。そんな幼い彼は、その小さな顔よりも大きなフラペチーノを空っぽにして、黙々と勉強していた。


よくよく思い出してみたら、この同じチェーンのカフェで勉強する小学生を見たのはこれが初めてではなかった。


ついこの間も、郊外のカフェで21時くらいに父親から厳しく勉強を教えられている子どもを見たばかりだった。「あんな言葉を覚えたばかりくらいの子どもが夜遅くに勉強するなんて、なんだかtoxicだね」と彼と話していた。「toxic」というのは、英語では「有害な」などの意味がある。そう、私にとっては今日見た小学生の彼の行動も、まさに「toxic」に映ってしまった。


「いい(小中高)学校に入って、いい大学に入って、いい会社に入って、たくさんお金を稼いでほしい」

多くの親が、私たちの世代にも言い聞かせていたであろうこの呪文が頭によぎった。


私は両親からこの呪文を言われたことはないけれど、学校や塾でたくさん言われてきた。大学では、この呪文をずっと言い聞かされていたかもしれない、小さい頃から1日何時間も勉強し続けてきた人たちにたくさん出会った。


私が公立高校出身だと知ると、そんな彼らのうち何人かは「え、公立高校だったの?見えないね。ねえ公立ってやっぱヤンキーとかいるの?」と聞いてきた。

「いや、公立にもトップレベルの大学に何人も受かるような進学校ってあるよ!てか、私はずっと公立育ちだからコスパいいでしょ!」と笑ってかわしていた。内心は正直、その若干の侮蔑的な目線に傷ついたし、腹が立っていた。


地方出身や公立高校出身というだけで関わってくれない人もいたし、そう知った瞬間に関係が切られたこともある。私の両親の学歴や、育ちまで気にするような人もいた。それは本当に悲しかった。


すべての王道エリートがこういう人たちではなかった。もちろん、親友にも王道エリート街道を歩いてきた人は何人もいる。


ただ一つだけ、みんなの心に留めてほしいことがある。

親のこの呪文は、子どもにこんな悲しくて醜い価値観を植え付けてしまう可能性があるということを。王道を歩んでほしくても、その王道を歩んでいない誰かを否定するような醜い言い方で、子どもに伝えないでほしい。


テレビ番組で誰かが言っていた。「少子化の世代の方が、子どもはたくさんのお金をかけられて大事にされて育つ」と。「お金をかけて育てられる=大事に育てられる」は本当に「正しい」公式だろうか?


インフレが続いて増税もあって、でも賃金は大して上がらない世の中で、子どもを小学校から大学まで私立に通わせたら、破産してしまうかもしれない家庭が多いのに、そうしたい親の割合は増えているそう。


一方で、そんな厳しい将来を見越して「子どもはいらない」と答える中高生と20代が半分ほどいるそう。仮に子どもがいたとしても、子どもは成人するまでの間ずっと勉強しなくてはいけないと思っているのかもしれない。電車で子どもが騒ぐと文句を言われて、子どもの遊んではしゃぐ声が「騒音」とされて、公園が潰されている社会の現実の最前線にいるからかもしれない。


こうした社会の現実のために、外国のメディアから「日本人は子どもが嫌いなのか?」なんて言われている時点で、少子化の時代だろうとなんだろうと、子どもが「大事に育てられている」とは言い難いのではないかと思ってしまう。


私もそんな身勝手な大人たちに仲間入りしたので考える。

「どうしたら私の子どもたちは幸せになれるだろうか?というか現代の幸せって、なんだろう?」


同世代がほとんどみんな働き始めて、義務教育が終わってからいろんな道を歩んできた友人たちと足並みが揃ってきたので、彼らの幸せの形をのぞいてみた。


高校卒業後にすぐ働き始めてコツコツ貯金してマイホームを建てた子、

好きな服やスニーカーを買い集めることに生きがいを感じているおしゃれな子、

一旦大きな夢を叶えて満足して新しい夢を探している最中の子、

20代前半で結婚して絶賛子育てに奮闘中の子、

毎月のように旅行に行っている子、

バリバリ働いて仕事が楽しくて仕方がない子。


いろんな人がいて、学歴や社会人経験、お給料だってきっとみんな違うけど、みんなそれぞれ幸せそうだ。

みんな自分で築いた価値観で判断して、みんな自分の幸せを掴み取っている。

私はそんなみんな全員が誇らしくて尊敬している。


いろんな人のいろんな幸せを見ているから、私は信じたい。

「いい(小中高)学校に入って、いい大学に入って、いい会社に入って、たくさんお金を稼いでほしい」

この呪文に縛られなくても、子どもたちはきっと自分なりに幸せになれると。


子どもが子どもらしく楽しい時間を過ごしても、将来に不安を抱えながら生きずに済む社会になるといいな。


私に、私たちに、何ができるだろうか?

まずは呪文を唱えないこと。

「日本人は子どもを養う対象であり、大人とは対等ではない存在と見ていて、欧米人は別個の人間として子どもを対等な存在と捉えている」なんて海外メディアに言われてたまるかってね。もちろん、封建制度や家制度などに基づく、日本の伝統的価値観による背景があるらしいのだけど。


ストップ、呪文。打ち破れ、伝統的価値観!なんてね。


子どもを卒業したばかりの私たちだからこそ、社会にいるたくさんの子どもと、将来出会うかもしれない自分の子どもを、自分たちと同じ別個の対等な存在として捉えていきたい。


一人一人が、そうやって違う世代の人に自分から見て上下の判断をしなくなったら、もしかしたら若い政治家は当選しやすくなるかもしれないし、能力の高い若者が権威だけで威張っている人たちを抑えて前に出ていけるかもしれない。


人数が少ないなら、私たちは自分たちと違う属性の人たちを味方につけないと。

「toxic」な考えは、同世代の連帯すら崩してしまう。せっかくなら、みんなでうまいことやっていきたいよね。




著者 Kiana

編集 岡田笑瑠

グラフィック 大野蓮

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