top of page
  • Zuhra Al Yarabi

カフェ・クロニクルズ: 本を読む男


ニューヨーク。アメリカ合衆国の中で最も大きく、最も人口の多い都市の一つ。芸術、建築、高級レストラン、上品なブティック、そして絵のように美しい公園の中心地だ。多くの大都市の同じように、この都市の住民も窃盗から殺人まで色々な犯罪を経験し、目撃している。当然ながら、そのような犯罪から住民を守るために社会的や個人的な対策がとられている。もちろん、私自身も、人通りの少ないところでの一人歩きは避ける、「知らない人のために立ち止まる必要はない」と常に自分に言い聞かせる、という基本的な対策を立てている。


その日は、穏やかで涼しい風が吹く晴天の午後だった。

私は行きつけのカフェで抹茶ラテを飲みながら、村上春樹の『アフターダーク』を読んでいた。すると突然、50代後半〜60代半ばにみえる男性が近づいてきて、「いい本ですね!その本、読んだことがある気がする。どんな話ですか?」と声をかけてきた。余談だけど、彼に聞かれた質問は少し奇妙だった。自動的にその状況と私への質問を問い始めた。悪い人ではないと彼を信じてあげることにして、「よく分からないですけど、しばらく目を覚まさないお姉さんが気になります 」と答えた。彼は注文を入れた後、私が座っていたテーブルに戻って来て、また質問をし始めた。彼は本当に興味があるようで、何よりそのアプローチが悪意を持っているようには見えなかった。だから私は話を続けた。その後、彼は親切にも自分の本を差し出し、「あなたにあげたい本があるんです!カフェと同じ建物に住んでいるので、あなたがここにいる時に、いつでも持ってきますよ」と説明した。私はためらいながら「あ、いえ大丈夫です。そんなことしなくても!」と答えた。でも、彼がどうしてもと言うから、「優しいな、どんな展開になるんだろう…どんな本を持ってきてくれるのかなぁ 」と思っていた。


正直私はこのやりとりに関して、どう感じていいのかよく分からなかった。見た目は優しそうな男性だけど、同時に彼の態度を見るとどこか不快な雰囲気を漂わせていた。そこでもちろん、何人かの人にメールで事情を伝えた。予想通り色々な反応が返ってきだけど、どれも「彼は無害そうだし、変な人じゃない」というのが結論だった。


別の日、またカフェを訪れた。

私は長方形の木製テーブルのそばに座った。テーブルの片側にはベンチがあって、反対側には円形の椅子が2つあった。テーブルの短い方の端は壁に押し付けられていて、テーブルの3辺は他の人が使えるように空いていた。私はベンチの壁際にある側に、ドアを向いて座った。しばらくして、一瞬本から目を離して顔を上げたら、また彼がいた。私たちは親しげな笑みを交わして、彼は注文をし始めた。その時、私は別の本を読み始めた。彼は 「やっぱり、本を読んでいますね!」と言った。私は笑って、「そうですね。この本はどんな内容なんでしょうね」と返事をした。注文を済ませた後、彼は私の方に歩いてきて横に座った。普段はベンチが狭くても共有できる。だけど、だんだんと彼の存在に違和感を覚えて、不安になってきた。彼はすでに近くにいたのに、私の顔から数十センチのところまでさらに近づいてきた。彼は時々、私の発言に反応して、私の肩を撫でてきた(友人と話している時、アザラシの笑い声のように噴き出すのに似ている)。会話が進むにつれ、「考えすぎだろうか?本当に仲がいいのか?それとも私が大げさなのか?うーん…なぜ私は不快に感じているのだろう?」自問自答を繰り返した。私たちの前に座った2人のお客さんも、私の疑念を裏付けてくれた。この3年間、ニューヨークで過ごした経験から言えることは、ニューヨーカーたちは何か注目するようなことがあるまで他人に干渉しないということ。だから、そのお客さんたちの視線は、私の境界線を越えていることを示唆していた。帰ろうとしたら、なんと、壁と隣の男性に挟まれて身動きが取れなくなってしまっていた。そのほんのわずかな引っかかりを感じる時間が、とても不快に感じた。失礼のないように少し声を荒げて、「ははは、動けないんですが、立ってもらってもいいですか?」荷物を持って気まずい別れを言ってからカフェを出た。


その事件から数週間後、カフェでの一人デートが少し変わったように感じられた。私はあることを常に警戒していた:彼を避けなければならないこと。自分が過剰に反応しているのか、世代間の文化的なギャップなのか、それとも実際に自分の境界線を越えているのか、と繰り返し考えていた。また、人々は同意や接触に関連する最近の社会的要素に気づいていない、慣れていない、それか取り込もうとしないのだろうかと思った。女性が見知らぬ人と接する時に経験するネガティブなことをよく耳にする中で、自分の外向的で積極的な面を見せるのは難しいことだ。私が望むのは、人々が自分がどのように相手に伝えられるかに注意を払うこと。会話をするという誘いが、自動的に触れることへの同意に繋がるわけではない。




著者 Zuhra Al Yarabi

翻訳 サバンナ・サットン

編集 岡田笑瑠

グラフィック 最上えみり

bottom of page