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  • Moeka Iida

日本の女性は未だにクリスマスケーキ?若さへの執着について話そう。


「25歳を過ぎた女性は、売れ残りのクリスマスケーキ」

12月25日が過ぎたらクリスマスケーキに価値がなくなり、誰も欲しがらないのと同じだ。


日本文化に詳しくない人たちには「クリスマスになると特殊なケーキを買う」という習慣があることにまず驚くだろうが、実はこの表現は数十年前までよく聞く言葉だった。この表現を女性の上司から初めて聞いた時は、とってもビックリした。25歳になったばかりの独身女性として、私も「売れ残りのクリスマスケーキ」と呼ばれそうだったからだ。


この蔑称は「若い」もしくは「既婚者」として認識されている女性にだけ価値がある、ということを意味している。社会的に男女平等にはまだ程遠いが、馬鹿げた概念を否定することは出来る。結婚を先送りにしたり結婚願望がなかったり、キャリアを追求する女性が増えていく中、このクリスマスケーキ類比は古臭い非フェミニストでセクシストな思想を表しているとしか思えない。


しかし、この表現自体が使われなくなったとしても、その考え方は消えるのだろうか?「女性は結婚すべきだ」という社会通念は別として、まずは「若さ」に対する執着について話したい。


「ここまで若さにこだわるのは日本だけだ」と言いたいわけではないが、社会として異常なほどに固執しているのは間違いない。都会へ行くと若いアイドルグループ(主に制服姿の10代の女の子たち)や、子供みたいなアニメキャラクターのポスターがよく目に入る。「女子高生」や「女子大生」という言葉が頻繁に用いられ、ポルノ界でも性的に執着(fetishize)されている。そもそも男性は女性ほど「若さを保つこと」を要求されていない。男性は歳をとっても「渋い」「ダンディ」などの言葉でまだ魅力があるとされている一方、歳をとった女性への褒め言葉はまず思いつかない。特に長い間エンターテイメント界で活躍している女性は、ネット上で「顔が劣化した」などと年齢のことをいじられ、ひどいコメントを言われていたりする。


この考え方は、女性間で若い頃から歳をとることに対しての恐怖感を生じさせている。私の周りには、この様なことを言っていた女性たちが居る。


「大学四年生にはなりたくない。不安が止まらない。」


「自分の誕生日なんかもう嬉しくない。年齢聞いてくるのもやめてほしい。」

(23歳)


もっと暗い話をしてしまうと、男友達に自分の彼女が「30歳を過ぎたら楽しむことがないから、その前までに自殺したいって言っていた」という話をされた。


私も若さを保つことに縛られていないわけではない。 これからたくさん歳をとっていく訳だが、自分はまだ若いと思っている。しかし、つい最近(半分冗談としてだが)知り合いに 「あなたはもう絶頂期に達したと思う?」と聞かれた。今まで生きてきて、四半世紀で人生の絶頂期を迎えてそれ以降は悪くなる一方だ、と言う風に考えたことはなかった。この時、どれほど「豊富」や「成功」に対して人々の理解が限られているかに気づいた。私は毎日この世界について学んでいる。この知識と経験、知恵の蓄積が私を美しく魅力的にしてくれている、と思っていたが同意する人は少ないみたいだ。正直なところ、どれくらい失礼な一言やマイクロアグレッション(自覚なき失礼な一言)に耐えようとしても、自分自身がそれらの言葉に影響されてしまう。


そもそも社会はなぜ「若さを保つこと」をここまで押し付けてくるのだろう? これほどにも儚いものが、なぜ女性の価値を決めるのだろう?なぜ「歳をとること」が、今の楽しみや将来の希望を吸い取ってしまうような黒雲に感じるのだろう?


答えが欲しくて色々な資料を調べていると、フェミニスト専門博士ナオミ・ウルフ氏の「美の陰謀―女たちの見えない敵」という本に出会った。この本は、家父長制は美の基準を利用して「政治的な武器」として女性の進歩に対抗している、という仮説を主張している。 1980年代に女性が何とか家庭から抜け出し、より多くのキャリア選択権を獲得すると、女性雑誌やエロ本を含む大衆メディアを通じて美貌とボディーイメージに対する窮屈な概念が蔓延した。結果、女性たちは非現実的で不自然な、主に編集された写真と自分を比較せざるを得なくなり、自分の容姿に満足することができなくなった。ウルフは、これについて「秘密の『アンダーライフ』が私たちの自由を奪っている。美しさという概念と自己嫌悪、身体的執着、老化への恐怖、コントロール不能で生じる恐怖で出来ている真っ黒い静脈だ」と述べている。女性は内面や心を磨くより外見を仕上げ、時間、エネルギーやお金をダイエットに費やし、化粧品やアンチエイジング(エイジングケアとも言える)コスメを購入することに集中しなければならなかった。


また、皺ができるような老化を示すサインを許さない一般的な美の観念は、「女性にとって歳をとることは、威信ではなく抹消を意味するのだ」とウルフは言う。2020年の日本では、企業の管理職員の内女性が占める割合は8%にも満たなかった。Dodaが行った従業員の年収の性別格差についての調査によると、20代男性の所得は女性より50万円多いということが分かった。しかし、この差は男女共に歳を重ねるにつれて指数関数的に増加する。50代男性の年俸は女性に比べ、200万円以上多いことが分かった(20代より4倍以上の増加)。労働の男女格差には多くの要因があるが、「若く、新鮮であるべき」という期待は、女性が「劣っている」ように見られることに貢献している。 女性は弱く価値がないと感じているため、そのような運命に値するという感覚さえあるかもしれない。


「美の陰謀―女たちの見えない敵」を読んで、解放されたような気分になった。ずっと認めたくなかった恥と恐怖は、実は立派な問題で、社会課題に直接関連していることを分からせてくれた。それにこの問題を無視するより、寛容的に話してみて人の考え方に影響してみようか、と思わせてくれた。クリスマスケーキ類比に戻ってみると、女性の指導力と労働力を促進する必要があることは社会は受け入れているが女性の若さへの執着を見逃すわけにはいかない。もし今の社会通念が家父長制を支持しているのなら、それらの通念に立ち向かわなければならない。


幸運にも、世界中で年齢を含め様々な観点から美の観念を受け入れるようとしている人々がたくさんいる。色々なセレブたちも、ハリウッドやエンターテイメント界に遍在する年齢差別について声を上げている。日本では40歳後半のフリーアナウンサー近藤サトさんが、2018年に自然の白髪のままで現れ、「女子アナ」という概念に挑んだ。高齢化社会になった今、この「年齢差別」への立ち向かいは自然の成り行きなのかもしれない。それでもやはり、「女らしさ」と「年齢」にまつわる観念を手放そうとしている人々を見て心強く感じる。


女性や少数派などあらゆる人々を受け入れる社会を築いていく中で、年齢への異常な執着を手放し人間の様々な素晴らしさを讃える必要がある。身体的にもそれ以外の分野にもありのままの自分に満足できるよう、そういう時代が訪れるように祈っている。



About Moeka Iida

飯田もえかは、上智大学卒業生であり、広報コンサルタントとフリーランサー研究者である。コーヒーが大好きで、政治と行動主義と文化の交差にとても興味を持っている。


Instagram: @moekaimnida



翻訳 Ariel Tjeuw

編集 Emiru Okada

グラフィック Emily Mogami

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