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  • Emiru Okada

『I Love Myself』 シリーズ:序章


『自分を愛することは最大の革命だ』と誰かは言った。


でも自分を愛する事って、想像以上に難しい。両親や親戚、学校の友達や交際相手に大切にしてもらうのとは全く違う。「ありのままの自分を愛す」という事は、絶対に共有出来ないような事とも向き合わなければならないから。


「鏡に映る自分を褒めてみて!」

「他人は他人。自分は自分。そう考えると楽になるよ!」

「自分を大切にしなきゃ。もっと自分を可愛がりなよ」


芸能人、インフルエンサー、ブロガーなど、色々な人が様々なアドバイスをくれる。でも上記のような発言を見たり聞くと、毎回思う。


「根本的な問題を理解してないから、こんな薄っぺらい事言えるんだ」


Blossom the ProjectやBlossom the Mediaでも取り上げられているように、日本には一定の基準が存在します。身体のサイズが大きすぎても、小さすぎてもダメ。肌の色は白ければ白いほど「綺麗」で「美しい」し、肌荒れやニキビは大敵。シャンプーやコンディショナーは全て「さらさら」「しっとり」「絡まない髪」など、ストレート以外の髪質は無視される。心が疲れていても心療内科を受診するのではなく、「もっと頑張れば」状況は良くなると励まされる。場の空気を乱さずに、意見はTPOを考えて発言する。 一定の見た目が美しいとされ、こうあるべき、と押し付けてくる基準は、私にはとても苦しく感じました。 身体の大きさや小ささが原因で、健康について心配されたりするのはなぜですか?

元々肌の色が濃い子達や、色黒のハーフの子達は、美しくないんですか?

生まれつき髪質がストレートじゃない人達は、どうして自分に合った髪の毛のケアを出来ないんですか?

限界を感じているのに、どうして専門家に助けを求めちゃいけないんですか?



特に日本のドラマ、バラエティー、コマーシャルなどを観ていると、固執した美しさの基準が所々強調されていて、いつも疑問に感じていました。美白・細身が美しいとされている傾向があり、美白効果のある化粧品が未だに人気だったり、モデルの様に細い身体に憧れている女性が沢山います。男性も同様に、痩せていて尚且つ高身長であることが「カッコいい」と認識されています。芸人の方々が、顔や身体の事でいじられる場面も多く目にします。モデルの隣に立たされ、足の短さを強調される。アイドルと顔の小ささや、胸の大きさを比べられる。

「イジられキャラだからしょうがない」

「芸人のくせに外見をイジってほしくないとか、何様?(笑)」

人の顔や身体の事で笑いをとると言うのは、道徳的に正しいのでしょうか?多くの人を除外している美の基準を保ち続け、広め続ける意味はあるのでしょうか?



周りの人と比べるのではなく、自分にしかない良さや長所を探しましょう。性別は関係なく、自分の身体が「平均」より大きくても、小さくても、白くても、黒くても、いいんです。自分のペースで減量や増量していいんです。周りと意見が違くても、恐れずに発言していきましょう。世間や平均に当てはまらなくても、皆それぞれのありのままの身体・自分を愛しましょう。


日本がもっとインクルーシブ(包摂的)になるように。

誰もが自分の好きなように、自分に素直に生きれるように。

そして何よりも、ありのままの自分を愛せるように。

『I Love Myself』はそういう様々な願いが込められているシリーズです。




グラフィック Ayumi White

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