• Sanae Tani

私たちの身体はポルノじゃない

大きく開いたデコルテは性的だろうか?

背中が大きく開いているのは?

ブラジャーをしていないって、そんなに卑猥なことなんだろうか。


 大学生の頃、水原希子がノーブラで体のラインを拾うような、ぴたっとしたトップスを着用した写真をInstagramにアップしているのを見て、ブラが嫌いだった私は感動した。「希子ちゃんがこんな風に堂々としてくれたら、もっとみんな自由になれる!」でもその投稿はあっという間に炎上し、ネットニュースに取り上げられた。彼女のコアなファンからは肯定的な意見が多かったように思うが、コメント欄のほとんどはネガティブで、誹謗中傷のようなコメントで溢れかえっていた。ただブラをしていないだけ、それだけでなぜこんなにも。

 いわゆる海外セレブのスナップを見ていると、ブラをしていないことも多いし、デコルテやお腹、背中を大きく開けていることもしばしば。気負わず自分のしたいようにおしゃれを楽しむその姿に、昔から憧れていた。日本でも水原希子やコムアイが、ブラをしていない写真を堂々とアップし始めて、やっと日本でもこれがスタンダードになるのかも、と思った。だけどいざ自分でやってみようと思うと、怖くて外に出られない。いつもより少し露出が多いだけでじろじろ見られて、嫌な目に遭うことだってあるのに、ブラをしていないって気付かれたらどうしよう。もしそれで性犯罪の被害に遭って、「ブラをしていなかったから(仕方ない)」って誰かに思われたら?ネガティブな可能性を考え始めたら恐怖が膨らみすぎて、結局私はいつも通りにブラを着けて外に出た。

 意気地のない自分にほとほと嫌気がさしたけど、これも身を守るためと自分を納得させた。


 昨年の9月、Brut.という動画ニュースメディアのInstagramで、衝撃的な映像を目にした。トップレスになった沢山の女性たちが、オルセー美術館に集まり抗議デモを行っている姿。私がうじうじとブラを着けるか着けないかで悩んでいる一方で、こんな女性たちがいるのか。彼女たちのこと、なぜこのデモを行ったのか、知りたくて動画を食い入るように観た。そもそもこのデモの原因は、ジャンヌという大学生が、デコルテが大きく開いた服装を理由に美術館への入館を拒否されたこと。それに対してフランスのフェミニスト団体Femen(フェメン)が、デコルテどころか上半身すべてあらわにして、「乳房は卑猥なものではない」「卑猥なのはあなたの目」と叫んだ。そしてデモの後、美術館を包む大きな拍手の音。

Femenのメンバーはこう語っていた。

 「Femenの活動の理由は、女性の身体を性的な対象とすることに反対するためです。その代わりに、私たちは性的ではない、戦う身体を見せるのです。」

 入館を拒否されたジャンヌは、「自分自身が全く意図しない(性的な)見方を強要されたことが問題なのだ」と訴えていた。


 そうだった。理解していたと思っていた。レイプの被害に遭った女性が、その時実際に着用していた服装で行ったファッションショー。あの時強く感じたはずだった。「問題なのは女性の身体や服装ではないのだ」と。女性たちがどんな服装をしていても、どんなにデコルテを大きく開けていても、脚を出していても、それは彼女たちが性的な目で見られ、性的な被害を受けていい理由には、少しもならない。どんな恰好をするか。例えば、デコルテを大きく開けるか開けないか。例えば、ブラを着けるか着けないか。それは私たちに与えられるべき選択肢であり、自由のはずだ。


 でも私は、いざ自分がブラを着けずに外に出ようとした時、その行動で性被害に遭う可能性を考え、悩んだ挙句ブラを着けた。


 Femenの活動は、(予想通りではあるが)日本人からは「大袈裟だ」「論点がずれている」、と否定的な見方をされていた。でも彼女たちは、私に女性として、またフェミニストとして、忘れてはいけないことを思い出させてくれた。女性の身体をどう扱いどう捉えるかは、女性自身に委ねられているということ。すべては、私たちに当たり前に備わっているはずの自己表現の選択肢で、権利で、自由だということ。


 今年のはじめ、同じBrut.で、ジュリア・ローズという女性がトップレスの写真を投稿したことを理由に、Instagramアカウントを凍結されたことを知った。彼女は、「女性が自身をセクシーに感じたり自分の身体を受け入れることが、タブーや卑猥なことであってはいけない。女性の裸をポルノとして見るべきではない」、と語っていた。彼女はInstagramからヌードが問題だと通告されたようだが、Playboyはもっと過激な投稿をし続けている。ジュリアの抗議に対してInstagramは、Instagram上で男性を名乗れば、凍結される可能性が減ると伝えたそうだ。つまりはそういうことなんだ。なるほど。女性が自由な選択の一つとして、自分たちの身体を開放することは卑猥で、SNSで見せるなどもってのほか。でも男性が楽しむための女性の裸は、堂々とSNS上にアップされ続けていて、ましてや、アカウント凍結なんかされるはずもない。


 こんな記事を書いている私も、じゃあ明日ノーブラで外に出られるか、と言ったらそうはいかない。以前ボディヘアの記事を書いた時にも思ったことだけど、この日本という国で、Femenの活動に対して遠い国から苦言を呈するようなこの国で、突然「当たり前(だと思われていること)」を崩して大手を振って歩くのは難しい。周りからは「ノーブラで乳首を隠さない変な女」って思われるかも。でも大事なのは、明日ブラを着けるか着けないかじゃない。私たち自身が、自分の身体を見せることイコール性的で卑猥なことだと思ってしまうこと。そんなのは男にそう見られたい女のすることだ、と思ってしまうこと。男性はビーチで上半身裸で歩くのが当たり前、でも女性は絶対に隠さなきゃいけない、なぜなら私たちの乳房は見せたらいけない性的なものだからと、女性自身が思ってしまうこと。それだけは明日からでもやめられる。私たちがそう思い込んだ時点で、私たちの身体の自由と選択肢が奪われてしまうことに他ならないから。


 フェミニストとして有名な女優のエマ・ワトソンは2017年、ヴァニティ・フェア誌に、ブラを着けず下胸をあらわにしたルックで登場した。この1枚の写真は物議を醸し、「フェミニストだったはずなのに、身体を見せるなんてがっかりした」、と批判された。それは、フェミニストの本質を理解せず、身体を見せることは男におもねることであるという思い込みがあるから出てくる批判だ。フェミニストが、ひいてはすべての女性がジェンダー平等を求める闘い。それはすなわち、女性が選択肢を得るための闘いだ。エマが胸を見せたのも、Femenがトップレスでオルセー美術館に登場したのも、男性に性的な目で見てほしいからじゃない。これが当たり前、自分の持つ選択肢のひとつだと信じているからだ。


 明日自分がどんな女性になるか。その自己表現の手段は、すべて自分の自由だ。

 タイトスカートを履くのも、男物のスラックスを履くのもいいし、その次の日には大きくデコルテを開けて、またその翌日には少しも露出がない服を着ていて、でもその下にブラを着けていなくたって、全部私たちの自由。私たちの身体は男性に消費されるポルノじゃない。選択肢は他の誰かにではなく、私たち自身にある。


 近い将来、ブラを着けずに堂々と街中を歩けて、それを誰かに変な目で見られたり、ジャッジされることのない日が来るといい。私はブラを着けない、あのエフォートレスでナチュラルなセクシーさがとても好きだから。今日着る服を選ぶように、自分の身体の見せ方を、当然のように選びたい。



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グラフィック Ayumi White

編集 Emiru Okada

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