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  • Kiana

悩める20代の to doリスト


結婚、出産、キャリアアップ、資産形成、場合によっては進学。世間はみんな、私たちに「若いうちに」を合言葉に、なんでもやっておきなさいと語りかける。


こうした20代に課された to doリストはあまりに多い。正直ちょっと息苦しくならない?


私は国際結婚という大きな決断を機に、人生設計の見直しが必要になったから考えてみた。それで分かった。「結婚する」「結婚しない」の自由があるみたいに、「今やる」「後でやる」の自由が20代の私たちにもう少しあっていいはずだと。


 

「毎日クタクタなんだけど。世の中の働くママ・パパってどうやって生活してるの?」

「朝ごはんだけじゃなくて、夜だってご飯作れない。スーパーが開いてる時間に帰って来れないもん」

「部屋の掃除も洗濯も平日はできない。自分が情けなくなる」


そんな声を何人からも聞いた。

どんなコミュニティの友人と話していても出てくる話題のほとんどは、仕事と家庭、それから自己実現との折り合いの話。


何歳で結婚したいと思っていたのに、社会に出たらあっという間にその年齢が迫ってきていて、パートナーを探すところからスタートになっていることに気づいた話。


恋人ができて自己肯定感が上がったけど、本当に結婚してくれるか不安な話。


結婚も出産もしたいけど、どうしても査定が下がったり昇進が遅れるリスクがあるから、タイミングが難しいという話。


自分の母親のように専業主婦として子どものための時間を取りたくても、値上げ・増税が続く世の中でそんなに呑気に構えていられないから、働く以外の選択肢がない話。


大学院に行ったり転職したり、自分の幸せのために行動したいけど、そうしたら婚期を逃して妊娠適齢期まで逃すのではないかと不安になるという話。


30歳までに転職しないと難しくなるなんて理不尽、毎日こんなに働かされてるのにそんな余裕ないって話。


こんなに値上げも増税も続くのに給料が上がらず、キャッシュフローギリギリで回しているのに、老後のために年金以外で資産形成までしなくてはいけないなんて地獄という話。


一つ一つに共感できる。

私たちの世代の多くの人たちに当てはまることかもしれない。


「なんで私たちこんなにやること多いの?!どこにそんな時間あるの?」


一日が24時間じゃとても足りない。

最近友人たちの多くと話す中で、誰からも共感されることがある。


「人生100年時代なのはいいけど、20代の時間が倍ほしい」


意味するところは、やるべきことの幅が20代は他の年代とは比にならないくらい大きいから、老後の40年よりも20代の時間が惜しいということ。そうなのだ。だいたい20代で決まった方向性に合わせて、残りの時間を歩んでいくのがまだまだメジャーだから。


日本では、20代に入った会社の業界や業種からの大きな転換は、20代のうちでないと難しいと言われる。入籍時にお金がないと指輪も買えないし、結婚式もできない。なのに世間から望まれるのは、それも20代。なぜか日本では、結婚したらすぐに子どもを授かることが望まれるから、結婚するまでに子育てができるだけのお金と環境を整えておかなければならない。子育てが始まったら、自分に時間が使えなくて当たり前だと思われる社会だから、大学院に行くなら出産前、もしくは結婚前なんていう考えも多い。


どうにかならないのだろうか?


結婚や転職が決まって、上記の「20代のto doリスト」のうち2つをクリアすることになるラッキーな私。しかし、それをクリアすることになったからと言って、別に「私の人生大満足でもう何も要らなーい!」という感じではない。(どちらも幸せな出来事ではあるが)


むしろ私の脳内は欲しいもので溢れている。

結婚することになったからこそ、パートナーとの子どもが欲しいと思う。家庭があって安定が見えてきたからこそ、挑戦的なキャリアを選択して、その道でのキャリアアップを真剣に考えているし、お金ももっと稼ぎたいと初めて思った。


友人たちと同様、欲しいものと現実のギャップに悩む、あるいは次々出てくる新しい欲望に悩む私は、最近受けたコーチングと父との会話でその特効薬を手に入れたかもしれない。


コーチングでやってみた、老後の自分から今の自分へのメッセージの想像。

私の場合は、「転がってきたチャンスも実力のうち」「人生は思ったより長くて選択に溢れている」ということだった。


これはある意味、私がそうであって欲しいと願っていることだと思う。


その上で考えてみた。

こうやって老後から人生の後半から考えてみると、人生は意外と長く見えるのかもしれない。


コーチングの後、定年退職したばかりの父が「人生で今が一番自由で幸せかもしれない」と言っていたのを思い出した。何十年も働いて退職した達成感と、働くことから解放された自由な感覚。


そんな父は「これからどうすっかな」と口癖のように言う。

「え、まだ何かするつもりなの?働くの?」と私が聞くと、

「だってあと最低20年、もしかしたら40年は人生あるわけ。長いじゃん。そんなに毎日同じことして暇つぶししていられないよね。しかも健康なのはいつまでか分からないじゃん。だからさ、健康に人生を楽しむなら意外と時間はなくて、暇でもないのかもしれないし」と当然のように答えた。


60歳の父でも、まだ何か成し遂げよう、チャレンジしようと思ってるなら、「to do リスト」には終わりがないんだと思った。世代ごとに「to doリスト」があるのは分かっているけど、こうやって空欄の時期、すなわち「余白」があると、人間は自分を見直して新たにリストを作り出すのだ。


「じゃあ別に私も、世間から勝手にプレッシャーをかけられているだけの『20代のto doリスト』をクリアしようと必死にならなくてもいいのかも?そもそも余白をつくってリストを定期的に編集した方がいいかも?」


そんな風に考えるようになった。


20代の活動的な時期に、あえて心の余白を作ると何が良いのか。

舞い込んできたチャンスに気づく余裕ができ、チャンスに飛び込む準備ができる。あるいは飛び込まないという選択肢を冷静に選択できるのだ。


休職という形で20代の間に時間的な「余白」を作ることになった。それが私の心に余白をもたらした。私はその心の余白あってこそ、「本当にこれが進みたい道か?」と自問自答して結局違う道に進みたいという答えを出した。つまり転職という形で、違う道に進むチャンスに飛び込んだ。逆に大学院という自己実現の面では飛び込むチャンスもあったが、選ばなかった。もう少し進化した自分で臨みたいから、今は選ばない。「もうやらない」のではなくて「今はやらない」のだ。つまり「あとでやる」可能性を私は残している。


一番初めに大事なのは、リストをじっくり眺めること。自分の目で。自分の価値観で。

時間的な余白を作らなくても、自分に向き合う心の余裕をどうにか作れたら、眺めてリストを編集してみる。私はうつ病の治療もあったから編集に半年かかったけど、もしかしたら2時間あれば足りる人もいるかもしれない。必要な心の余白の大きさは人によって違う。

しっくりくるリストの暫定版を作ったら、まずは一つやってみる。


手軽で自分でどうにかなるものから始める。

私だったら貯金が一番周りに左右されなくて楽かも。貯金から始めて、「収入が増えないとそもそも目標に届かないな」と思ったら、転職を考える。あるいは、貯金で何か高級品を買ってみて「そもそも自分はこんなにお金は必要じゃないかも」と思えば、お金以外の面で自分を幸せにしてくれるものを手に入れようとしてみる。こんな感じ。


つまり、リストは相互に影響してくるし、自分の経験値が増えるごとに変わっていいはず。

みんな同じタイミングで達成すべきなわけじゃない。


こうやって「20代のto doリスト」を自分で編集して、その上で自分の順番をつけないと、人間はそこまで器用じゃないから一度にはできない。「二頭追う者は一頭も得ず」って昔からみんな知っている。あるいは一つクリアしたら、たまたま別のリストにチェックがつくラッキーな瞬間が次に飛び込んでくることもある。もしかしたら途中で、「やっぱりこのリストは自分の幸せには当てはまらないかも」と気づいて消すことだってあるかもしれない。編集作業は定期的に必要だ。



「やるvsやらない」という判断の自由が、結婚や出産、転職など「人生のto doリスト」の見直しの基準として広まってきたけど、私はその編集作業にもう一つ基準を加えて欲しいと思う。


「今やるvs後でやる」

なんともズボラ人間から生み出されたような響きだ。宿題をギリギリまでやらないタイプなのがバレてしまう。


科学の進歩のおかげで、ありがたいことに人間は長生きするようになって、健康寿命も順調に伸びてきている。別に今全部やらなくても、人生トータルでみたら時間はそこそこあるはずなのだ。だから「あとでやる」選択、つまり「20代のto doリスト」から「30代以降のto do」に移動しておく選択をしておいて、余白が増えたと感じた時にやってみたらいい。


時代が変わっても相変わらず昔から同じリストを提供してくる世間だが、私たちは

「後でやる」選択ができるほど人生が長くなった時代に生きているメリットを生かしたっていいのだ。




作者 Kiana

編集 Emiru Okada

グラフィック Claudia MacPhail

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