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  • Karl Jason Calimag

のけ者にされた僕の、日本の国際カレッジでの経験


「教育を得るには、どれくらいの苦労に耐えたらいいのだろう。」


ハワイ東海インターナショナルカレッジ(HTIC)に通っていた時期に、起きる度これを思わない日はなかった。HTICは東海大学の海外教育機関として設立され、「学生が世界平和に貢献する、見識あるグローバル市民となるための教育を提供する」という目標を掲げていた。それはホームページには書いてあるけど、僕が経験した現実はそんな素晴らしいものではなかった。僕は世界中の人々、特に同じフィリピン人の助けになりたくて、政府で働きたいと思った。 HTICで平和学を学べると聞き、興味をもって入学したが、HTIC は世界平和に“貢献したい”のではなく、世界平和に“貢献しているようにみせたい”、と言った方が正しいだろう。このカレッジに通い、日本社会の課題、想像もしなかった排除や人種差別、そして他人と社会問題に対する無関心さを経験してしまった。


カレッジが始まって第一周目に、生徒たちみんなが映写室に集められ、HTICの歴史や創立者の松前重義についてのドキュメンタリーを見せられた。この時点でもう、「ここはどうかしている」と気づくべきだった。最初に上映されたのは、第二次世界大戦中に広島と長崎へ原子爆弾が投下されるシーンだった。私も他の6人のアメリカ人も呆気にとられて観ていたが、周りの日本人の生徒たちは皆んな爆笑をしていた。これを観て爆笑出来るの?僕は当時、日本という国とか日本文化について何も知らず、日本人と友達になって色々学びたいとワクワクしていた。しかし、「友達を作るのは簡単だよ」と言った管理人は、僕に真っ赤な嘘をついていた。


寮では僕の状況を分かってくれて、とても親切にしてくれた同室の生徒がいた。ランディー(仮名)といって、僕より何個か年上で日本語が全く分からない僕に、いつも英語で話してかけてくれた。しかしランディーが寮を出てから、何もかもが悪化した。他に同室していた3人の生徒たちは、ランディーほど優しくはなかった。僕とランディーは生い立ちが似ていて、労働者階級の生活や、仕事と勉強を両立することの苦労はお互い分かり合っていたから仲良くなれた。当時は自活をするにはとてもハードな仕事をしないといけなくて、夜遅くに閉店を任せられる事が多かった。22時〜23時に寮に帰る事も何度もあった。同室していた3人の生徒たち(以後「美少年たち」と呼ぼう)は、どうもこれが気に入らなかったらしい。夜うるさすぎると文句を言ってきた。しかし、僕は好きで夜遅く帰っている訳ではなかった。お金が必要だった。ある夜、美少年たちの一人が僕に「こんなに無理してまで、どうして大学に通うの?」と片言英語で聞いてきた。その発言にムカついていたけど、別にビックリはしなかった。このカレッジの生徒の大半はお金持ちな家に生まれ、高級ブランドの服を着こなし、高い車を運転し、欲しい物はすぐ手に入るような人たちだった。僕は視覚障害があるため、車は運転出来ないし、人並み以上仕事を頑張らないといけないし、夜になるとちょっとガタガタ音を立ててしまう。そう説明すると、「じゃあなんで普通のカレッジに通っているの?」と返された。この美少年たちにだけではなく、このカレッジの生徒たち皆んなにとって、僕は「普通」ではなかった。皆んなが毛嫌いしている貧乏人で、障害者で、肌が黒くて、信念が強い人にすぎなかった。


この状況はさらにエスカレートした。部屋で美少年たちがでっかい声で会話しているのに、「ここでアメリカの友達とチャットとか、通話しないでもらえる?」と何回も言われた。交流を持つのに必死で、友達と話させてくれ、と頼み込んだ。しかし誰も友達になってくれず、またオンラインで向こうの友達と話す日々に戻った。生徒たちにのけ者にされていた。ある日、持ち物がまだ部屋に置いてあるままなのに、美少年たちに閉め出された。リュックとダッフルバッグで生活をせざるを得なかった。一週間ずっと共通キッチンにあるソファで寝て、いつも通り授業に行って勉強をした。僕を助けてくれた生徒たちがいたけど、彼らは可哀想に、その美少年たちに嫌がらせをされていた。寮の管理人も何もしてくれなかった。「誰だって嫌な同居人はいるさ。耐えてくれ」と言われただけ。助けてくれた生徒たちが居なかったら、僕はずっとソファで生活をしていただろう。そんな態度なんか耐えれっこない。


それでも、どんなにお金持ちで、人種差別や障害者差別をする人たちでも、日本人の生徒たちは皆んな根は良い人たちだと信じたかった。しかし、僕が経験した事で、その希望がジワジワと消えていった。日本人の友達を作りたくて、積極的にサークル活動に参加してみた。新しい部活動を作ろうとしたが、アメリカ人の生徒たちだけしか入部してくれなかった。次にバスケ部に入部してみたが、ずっと仲間外れにされた。口も聞いてくれず、仲間にも入れてくれず、挨拶すらしてもらえなかった。チーム分けの時は、一人で座って自分でシューティングをする事しかできなかった。チームメイトと楽しく練習したりする事は出来なかった。昔からバスケが大好きだったのに、それを証明するチャンスすら与えてくれなかった。幸せで居てはいけないんだ、って感じた。部活の顧問に助けを求めに行ったけど、「日本人の生徒は悪くない」「もっと彼らみたいになったらどうだ」、とそっけない返事をされた。僕は日本語は喋れないし、どうやって日本人みたいになったらいいの?これを機にバスケ部を辞めた。気づいたら以前楽しいと思ったことや、面白いと感じたことも、この学校のせいで嫌いになっていった。


授業が一番楽しかった。親、叔母、叔父、祖父母、皆んな教師だから、教育が大好きな遺伝子を受け継いでいるらしい。勉強は僕の救いで、世界との架け橋みたいなものだった。視覚障害があるため、脳で補わないと社会は僕みたいな人を受け入れてくれないからだ。


僕がビックリしたのは、授業の内容は大体もう知っていたこと。その為、ディスカッションタイムやグループワークの時は、違う目線から色々な事を話すことができた。もう一つ驚いたのは、ディスカッションタイムやグループワークの時に、誰も意見を上げようとしなかった事。僕とアメリカ人の生徒たちと仲が良かった教授に、日本人の生徒たちも参加できるように、冗談で「ちょっと黙ってて」と言われた。教授が直接一人一人に質問しないと答えてもらえなかったが、皆んなが出した答えにショックを受けた。国際関係の授業で、日本の失脚は中国や他の外国のせいだ、と多くの生徒は言っていた。これはHTICに通い始めて間もなくだったけど、時間が経つに連れ、世界のあちこちで色々な事件が起きて、生徒たちの発言がもっとひどくなっていった。春学期にコロナ禍のせいで授業が全部リモートになって、生徒たちはさらに声を上げなくなった。授業でハワイが話題になった時に多くの生徒たちは、ハワイもアメリカも黒人と白人以外の人種が居る事を知らなかった、と言った。


夏になって、2つの大きな出来事があった。ジョージ・フロイド氏が殺害された事件と、平和学のクラスを取り始めた事。ジョージ・フロイド氏の事件のような人種差別行為は、この世界がどれだけ平和じゃないことを証明した。それでも、授業では「アメリカには1964年公民権法があるから、人種差別がない」と言い張った生徒たちが居た。その上、暴力的じゃない人種差別行為は”本当の”人種差別行為じゃないという発言もあった。さらに、ある日本人の生徒が「肌が黒い人の隣に座るのが怖い。暴力的とか、犯罪者なんじゃないかと思ってしまう」と告白した。日本人の生徒たちは「日本にはあまり外国人が居ないから、人種差別はない」と言っていた。「ではなぜ、日本で外国人は少ないの?」という疑問に行き着く。


答えは簡単。僕たち外国人はのけ者にされ、脅威と見なされ、勘違いされ、対等に扱われていないからだ。教授さえもイジメから逃れられなかった。授業以外や休憩の時は、生徒たちにミックスの民族性の事をバカにされ、「くさい」とかひどい事を言われ続けていた。もっとひどかったのは、授業で慰安婦と第二次世界大戦が話題になった時、「日本による植民地化は昔の事だし、もう済んだ事なんだから、根に持つ事じゃない」と言った生徒たちが何人か居た。この発言は迂愚すぎると思った。僕の叔母(フィリピン人)は第二次世界大戦の生存者で、戦争によって想像もできないほどの苦難を経験してきた。今でもトラウマを抱えている事を知っていたら、そんなこと言えただろうか。日本についてのプレゼンで、一人の生徒が「台湾、フィリピン、マレーシア、中国、韓国は、日本に植民地化されたのではなく、進んで服従した」と言った。多くの生徒たちは、「女性は妊娠したら何もできないから、社会では男性ほどの価値がない」と言っていた。セクハラと日本での女性の対応が授業の話題になった時、被害者が経験を語っている間、「ありえない」とか言い教室を出たり、携帯をいじり出したりして、被害者の経験を否定していた生徒たちがいた。この生徒たちの態度や発言は、何度も頭にきてしょうがなかった。もう二度と顔を合わせない、と自分に誓った。


しかし、今は彼らに見てほしい。僕の活動、言葉、気持ち。彼らに自分が持っている特権と日常的にしている排除や人種差別、性差別、障害者差別などに加えて、他人と社会問題に対する無関心さがもたらす影響を考えてもらいたい。HTICでは色々あったけど、僕と一緒に通った日本人の生徒たちはそれでも見識を持った、世界平和に貢献出来る人達になれると思っている。


「日本人はとても礼儀正しくて、文明化された人たちだ」という考えは、直した方が良いと思う。人を人間以下に扱うのは、非人道的すぎる。これも個人的な意見だけど、HTICは行かない方がいい。文句を言っても、スタッフやカウンセラーに話しても、生徒に立ち向かっても、何一つ変わらなかった。お金があったら、性差別、障害者差別、人種差別や階級差別などに対抗する団体に寄付した方が良い。HTICよりもずっと平和の為に社会に貢献してくれるだろうから。



About Karl Jason Climag

カール・ジェイソン・カリマグはフィリピン系アメリカ人の2世で、視覚障害者です。ハワイ大学で学生活動家としても活躍しています。日本のカレッジから平和学の準学士をとって卒業しました。




翻訳 Ariel Tjeuw

編集 Emiru Okada

グラフィック Maya Kubota


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