私は、生まれた時から黒髪ストレートだ。
高校時代に行ったプロム、高校の卒業式、大学の卒業式、全て髪を巻いてヘアスプレーをこれでもか、と言うほど使って臨んだけれど、会場に着く頃にはストレートに戻っていた経験がある。色んな動画を観て色んな巻き方をしてみたけど、ことごとく失敗した。
そんな私がふと疑問に思ったこと。
日本で髪質がストレートではない人たちは、どうやってヘアケアしているのだろう?ヘアスタイルを変えたい時は、どうしているのだろう?縮毛矯正やパーマなどのサービス、ストレートヘア向けのシャンプーなどは目にするけど、それに当てはまらない人たちはどうしているのだろう?
日本のメーカーの商品はよく、「指通りのいい髪」「ほどきたくなる絹髪へ」「広がりが気になる髪も、しっかりまとまる」というフレーズと共に、私の様なストレートヘアのモデルを起用した広告を出す。ストレートヘアの私は、逆にアメリカのシャンプーリンスは合わないから、時間をかけて日系スーパーまで買いに行っている。「私は日本のヘアケア商品を重宝しているけど、直毛ではない人たちがケアするには配慮に欠けている。コスメの色の幅のように排除的だな… 」と落胆していたある日、興味深いニュースが目に入ってきた。
高校の卒業式にコーンロウで出席した生徒が「校則違反」と見なされ、他の卒業生とは別に隔離されて参加させられた、というもの。
黒髪直毛ではない生徒たちと学生生活を送っていた私にとって、このニュースは正直驚きだった。小学生の頃に、黒人のクラスメイトが髪の毛にビーズがついているドレッドヘアをしてきた時は、周りにも先生にも可愛いと褒められていたし、拙い英語で「素敵だね」と言った記憶もある。中学校の頃には、ブラックヘアとされるものは色々な種類があることを学んだし、はっきり言ってこのニュースを目にするまで、ヘアスタイルが校則違反や議題に上がったことをみたことがなかった。
「髪の毛は耳や肩にかかってはいけない」
「黒髪でなければいけない」
「長髪の女子生徒はポニーテールにしないといけない」
「男子生徒は長髪禁止」
「黒髪直毛じゃない生徒は、親の署名付きの証明書を提出しなければいけない」
校則は生徒たちを守るためにあるべきで、理不尽なものを強制するべきではないと思う。個人的には、社会に出た時に「ルールに従う」ことを練習するためにあるものだとも思っているからこそ、容姿に関する校則は必要なのか、とも考えてしまう。髪色や髪質、長さの規定は勉学に必要ない。社会に出ても、髪型、髪色、髪質が仕事の生産性や効率性に関係することはない。
このニュースで明るみになったのは、日本における学校での意味不明な校則だけではなく、日本における異文化の定着が浅いこと。
実際に兵庫県の教育委員会・高校教育課の新谷浩一課長が会見を行った時に、コーンロウのことを「編み込み状態」の髪型であると発言した。同会見で、新谷氏は次のような発言もしている。
「卒業式当日に限りまして、このような髪型(コーンロウ)で出席したいと。この髪型が民族のルーツに関わるものであると相談がございましたら、もっと子どもに寄り添った対応ができたのではないと思っております。学校と子どもの間のコミュニケーションが、もう少し十分であったら、こんなことにはならなかった」
「『髪の毛を切ってこない』をさらにこえて、ちょっと清潔なものといえない髪型(と学校が判断)で来てしまったところがあって。みんなで気持ちよく卒業しようと、その約束が本人が切ると言いながら守ってもらえなかった。」
卒業式に限り?相談があったら?清潔なものと言えない髪型?約束を守ってもらえなかった?
コーンロウやドレッド、ボックスブレイズなどを含むブラックヘアは、歴史的にも文化的にもリスペクトされるべきなのは言うまでもない。社会は変わりつつあるのに、学校の中だけ時が止まっているのはどうなのか。
一生徒が自分のルーツをリスペクトする髪型は、卒業式に限らず、その生徒がしたい時にしてはいけない理由は何ですか?なぜ学校側に相談する必要があるのですか?
どうして日本文化にルーツを持っていない、見慣れていない髪型は「清潔」ではないのですか?なぜ切ってこないといけないのですか?
ブラックヘアで卒業式に参加したら、気持ちよく卒業できない理由は何ですか?大切にしたかったルーツがあるかもしれないのに、その人のアイデンティティを無視してまで大事にしないといけない校則や学校側の提案は存在するのでしょうか?
学生らしい髪型ってなんだろう?日本人らしい髪型ってなんだろう?
黒髪直毛だけが「日本人らしく」「きちんとして見える」のはどうしてだろう?
日本人のルーツを持っているのは、黒髪直毛の人たちだけではない。それに、生徒たちが大切にしている文化が日本だけだと、どうして言い切れるのだろう?
今回のニュースで直接的に影響を受けていなくても、大人になる前に経験する社会である「学校」がもっと包括的になるように、出来ることはたくさんある。
素敵だと思った髪型や服装があったら、まず文化的に意味があるのか調べてみよう。
友達や親戚、クラスメイトのルーツが日本以外のものだったら、その人たちが自分のルーツを大切にしようとする妨げになっているものがないか考えてみよう。
もし学校や社会、コミュニティが理不尽な規則を強いているのなら、声を上げてみよう。
社会が求めてくる、〇〇らしさや基準なんて関係ない。
黒髪でも茶髪でも、直毛でも天然パーマでも、自信を持って自分でいれたらそれでいい。
様々なアイデンティティを持つ人たちが、自分自身を愛せるような、
自信を持って自分でいれるような社会になるように。
どんな文化にルーツを持っていても、その人の大切な一部であることに変わりはない。
自分の文化や伝統、ルーツは、自分が一番分かっている。
それは誰が何を言おうと、何をしようとあなたのものだし、他の誰にも決める権利はない。
決めるのは私。決めるのはあなた。
『I Love Myself』は…
日本がもっとインクルーシブ(包摂的)になるように。
誰もが自分の好きなように、自分に素直に生きれるように。
そして何よりも、ありのままの自分を愛せるように。
という様々な願いが込められているシリーズです。
参考文献:
イット! 2023.「清潔じゃない」“黒人ルーツの髪形”理由に卒業式で生徒を「隔離」 実は…父親は“アメリカ国籍の黒人”だった FNNプライムオンライン. https://www.fnn.jp/articles/-/505768
It! 2023. 「清潔じゃない」“黒人ルーツの髪形”理由に卒業式で生徒を「隔離」 実は…父親は“アメリカ国籍の黒人”だった FNN Prime Online. https://www.fnn.jp/articles/-/505768
著者 岡田笑瑠
グラフィック Sarah Kai