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  • Kiana

マッチングアプリ婚だって True Love


運命の人とどんな風に出会いたいか、考えたことはあるだろうか?


私は、野球部のスターをファンとして追いかけていたらいつの間にか付き合えた、みたいな理想を追いかける派だった。他にも聞いたことがあるのは、街中のお気に入りのお店で声をかけられて意気投合するとか、常連のカフェが同じで話しかけてみたとか、色々なドラマみたいな理想があると思う。


現実で結婚やパートナーシップという形で、ある意味「永遠」を誓った人たちの出会い方はどうだろう?様々な出会い方があると思う。


私の場合、婚約した彼とはマッチングアプリで出会った。

もしかしたら今世界で一番一般的な出会い方かもしれない方法だ。


親の世代には存在しなかったものだから、たしかに話してみるまでは抵抗はあった。

でも意外なことに、親や親世代の人たちよりも、友人の発言でちょっと戸惑うことの方が多かった。一人や二人ではなくて、何人からも似たようなことを聞くので少し悲しかった。


「マッチングアプリやるほど困ってないっていうか〜」


その後に続く会話から、多くの場合この言葉はこんな響きを持つように聞こえる。


アプリなしで出会えた方が「本物」で「優れて」いる。

アプリはモテない人が焦ってやるもの。


「マッチングアプリやるほど困ってないっていうか〜」と言う彼らの真意の根底におそらく存在する価値観は、「恋愛にがっつくのはかっこわるい」ということだと思う。


「でも、そういうことを言ったりアプリを批判する人ほど、合コンに行くじゃん」と私は内心言い返したくなる。


「親にアプリで出会ったって言えなくない?」と言われたこともある。

たしかに抵抗はなくはなかったが、嘘を数十年つき続ける方が私には辛かった。


「結婚式で馴れ初めとかの話になったら言えなくない?」

その一瞬はそんなに大事だろうか?というか、それで笑うような人とは、私の一生に一度の結婚式に招待するほど親しくないと思う。つまり、そう言った君も招待しませんよ。


お見合い結婚はたくさんいるのに、親世代からマッチングアプリを批判されるのが矛盾であるのと同じで、合コンでの出会いは「友達からの紹介」と捉えて肯定的なのに、友人からマッチングアプリが批判されるのは矛盾する気がしてしまう。


だってどれも「好きな人に出会いたい!」と思う人が、積極的に取る行動であることに変わりはないから。


やってみて合わなかったという友人も何人も見てきた。


「男性に奢らせるゲームみたいになって気分が悪い。もうこれ以上変なデートの自己ルールを作りたくないから一旦離れる」


「結局アプリで最初に判断する軸が写真だと、見た目に良し悪しつけてる気分になって嫌だった」


「何千人も現れる分、自分と似ている人を探すのがとても難しいと思った」


逆に合っていた人はこう。


「見た目がタイプなのは自分の中で大切な要素だけど、友達の紹介だと『タイプじゃない』とは言いにくいから、アプリの方が気楽」


「友達から恋人関係に発展するのは苦手だけど、仕事関連以外で新しく出会う人ってなかなかいないからチャンスが増えた」


「最初からどの程度真剣に恋愛したいかを書いている人が多いから、結婚かカジュアルな交際か、その目的の違いで揉めることがないのは良い」


親に言いづらいなど、周りに言うのが恥ずかしいと思ってやらないのは自由。


でも、やってみる決断をした人を批判する権利は誰にもないということを覚えていないと、無意識な価値観の押し付けで誰かを傷つけてしまう。


やってみて合わなかった人で、マッチングアプリでの出会いを否定する人はあまり見たことがない。おそらく、良いところも見られたし、実際どんなものなのか体験した上で続けない判断をしたから。


これって、マッチングアプリに限らずなんでもそうだと思う。

経験した人にしかわからないことは必ずあって、その気持ちを想像できるか、自分の意見を伝える時に価値観を押し付けるような言い方をしていないか、などを考えてみる。

私もなんでも思ったことを口に出してしまうタイプだから気をつけている。


「マッチングアプリやるほど困ってないっていうか〜」と言った人は、どういう言葉を選べばより良かったか。「困ってない」は、アプリをやっている人を自分より劣等な存在と認識させてしまう。偏見を持って相手に接するような言葉ではなくて、自分なりのやりたくない理由を話すのはどうだろう?

何か自分を引き止めるネガティブな要素、たとえば「顔写真をインターネット上に公開するのが私は怖い」など。


もっとイメージを膨らませるために、より簡単な例にしよう。

トマトが大好物な人に「自分はトマトが苦手だ」と伝える時を想像してみよう。

誰でも簡単に、より思慮深い丁寧な言い方が思いつくのではないかと思う。言葉も気をつけて、多くの人はきっとトマトが嫌いな個人的な理由を付け足すのではないだろうか?

トマトが大好きなのに共感してもらえないのは悲しいかもしれないけど、でも個人的な理由があったら納得できるし、トマト感が弱いトマト料理を薦めるようなお節介もしないだろう。


マッチングアプリの話もこれと同じだと思う。

好き嫌い、合う合わないは人それぞれあって当然。どんなトピックでも大事なのは伝え方。


他にも意見がぶつかりやすい話題の時、友人やパートナーと意見が割れてしまった時は、一度脳内でトマト嫌いの話題に変換しよう。どんな意見もリスペクトされるべき、大切な個人の意見だから。


ということで私の意見は、合コンでもお見合いでもマッチングアプリでも、どんな出会い方だってなんだって、私たちそれぞれの愛は、本物でwonderfulなtrue loveなのだ。




著者 Kiana

編集 岡田笑瑠

グラフィック 鹿野里美

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