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  • Luna

消せない過去は棚の中に今という世界を生きる私

五感は個々の人生を物語る––––。

四月に入り、目に飛び込んでくる世界が薄いピンク色に染まると、小学校の入学式を思い出す。何かの始まりを感じて、心がウキウキする。

受験生の時によく聴いていた音楽を今聴いてみると、その頃感じていた辛さが急に蘇ってくる。そして、「あの時は頑張ったな」と思い返す。

「行ってきます」と家を出ると、ほのかに甘く、爽やかな金木犀の香りがする。去年の秋に起こった出来事を振り返り、「あ、そうだった」と笑みを浮かべる。

久しぶりに帰省して母の手料理を口にすると、急に子供の頃に戻ったような感覚になる。心が温かくなる。

あなたの唇に触れると、初めてキスした瞬間をふと思い出して「ドキッ」っとする。

こうして五感は時空を超えて、私たちが過去と現在を行き来するのを可能にする。

日常の変哲もないものが、あなたの中に数多ある記憶の引き出しのうち、その一つを開けて、現在の世界と過去とを繋げる。

良い思い出も、悪い思い出も、人はそんな風にして人生を振り返るのだろう。

しかし、もし引き出しを開けたまま閉じられなくなってしまったら、どうなるのだろう?

人はトラウマ(強いショックによる心的外傷)を経験すると、記憶を整理できないまま、引き出しを開けっぱなしのままにしてしまうことがある。記憶の内容をうまく収納できなくなる上、記憶に関連する五感の機能がしっかり働かない状態になり、「過去」と「現在」がぐちゃぐちゃに混ざってしまう。だから、いつ何が起こったのか、どんな状況にあるのか理解するのが難しくなる。

 

「寝てしまえば悪いことも全部忘れちゃうよ」と言う人もいるが、本当に人は悪いことを忘れられるのだろうか?

たとえある記憶を意識の外に放ったとしても、その記憶は無意識の領域を浮遊していることがある。もう一度同じようなことが起こった時に対処できるようにするために、人は生き残るために、嫌な記憶を念のため無意識の棚の奥にしまっておくのかもしれない。

だから意識的に忘れたことも、記憶と関連のある何か引き金となるものと遭遇した時に、無意識の棚の中からその姿を表す。ずっと無意識の中にしまっておいたものだから、人はその記憶についてうまく再認識できず混乱し、簡単にその記憶の中に溺れてしまう。

「現実に生きている感じがしない」

「現在にいるはずなのに、過去に閉じ込められて、ずっと苦しいと感じる」

私がトラウマに苦しんでいる時に、「過去のことだからもう大丈夫だよ」「時が解決するよ」と慰められることで、むしろ悲しくなった。

自分の中では過去のことだと分かっているはずが、身体の感覚や認知機能は過去と同じように働いてしまう。そんな必要がないことは分かっているのに、トラウマを経験した時と同じくらいのインパクトがある感情を、同じように経験することになってしまう。

どうすれば、現在と過去を切り離して生きることができるのだろう?

 

「過去以外の世界があることを知ること」

それが私を救った。

人は習慣や態度など、慣れたものから離れるのが難しい。それらが暮らしや考え方の「土台」になっているからだ。「土台」を取り壊すのは時間と労力がかかる。だから、人はある考え方やものの見方をいったん身につけると、なかなか変えられない。

しかし、「土台」が不格好なまま、上にものをどんどん積み重ねていくと、ある時にふと気付くことになる。どうして何をするにも、こんなに不安定なのだろうかと。

時間が解決してくれるのを待っていた。傷は自然に癒えるから大丈夫だって。でも、気持ちが軽くなるどころか、どんどん弱くなる自分が怖くなっていった。困難を乗り越えた人は強くなる。そうかもしれない。でも強くなるために弱くなることを知らない人は、強くなれないと思う。私は一度弱くなり、立ち止まり、土台を立て直す必要があった。「私」としての人生を、しっかり生きられるようにするために。そう気づくまでに、十年近くかかった。

 

全てを壊す必要はない。私は自分の見ていた景色とは違う世界を参考にしながら、足りないところを補強していき、機能していなかったところを取り除いていった。すると、土台が次第に安定し、その上に積み上がっていたものも、ぐらつかなくなった。

過去は消せない。だから、そっと棚にしまったままにしておこう。

時折覗いてしまうことはあるが、私はもう過去と現在の間の「綱渡り」はしないことにした。

今を生きたい。生きるんだ。

あなたが快適で安心できる世界は、あなたにはまだ見えていないだけで、いつもそこにある。絶対に、よくなる日が来る。諦めないで、一緒に今を生きよう。



編集 Emiru Okada

グラフィック Ren Ono

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