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  • Mikka Bea

不完全な視点からセックスにアプローチすることを学ぶまで


付き合って一年が経ち、私はパートナーとある意味での性的なつながりを持たなくなりました。セックスはしていたけれど、良くも悪くもない普通な感じ。パートナーを見て感じることは昔とは変わっていなくて、今でもかっこよくて、美しくて、セクシーだと思う。じゃあなぜ私たちは以前のようにつながることが出来ないのだろう?それがとても不安に感じました。私は支配欲が強くて完璧主義なので、私の完璧な(までに不完全な)パートナーとの性生活が突然変わってしまったことにとてもショックを受けました。


それから私はゆっくりと彼を責め始めました。もしかしたら彼の私への気持ちが冷めているのではないか。妄想的な考えが頭をめぐって、彼の欲望が完全に消えてしまったんだと私は確信していました。その考えのせいでボロボロになりそうでした。でも、怒りや恨みを溜める前に、彼に私の気持ちを全て伝えました。


それは簡単に出来る会話ではありませんでした。二人とも泣いて、性的な相性が私たちの間にはもうないんだと悲しみました。彼はなぜつながりが断ち切られたかのように感じるのか分からず、私も自分自身に何が起こっているのか分かりませんでした。でも話し合いを通じて自分たちの気持ちについてオープンになることで、私たちはゆっくりとこの様な状況になった経緯をたどり始めました。


当時、私は世界で一番大好きな家族の一人を恐ろしい病気で亡くしたばかりでした。そのために私は別の国にいる家族を20日間訪れて一緒に時間を過ごし、深く悲しんでいました。私はボロボロでした。ほとんどの日は何時間も泣いて過ごしていました。あまり食べることもできなくて、仕事も手につきませんでした。何もやる気が起きなくて、ただただ飲んで泣きたいだけでした。


私の恋人も仕事のために長期間の旅行に行っていました。休みもなく、ほとんど眠らずに中国の様々な地域を回っていました。帰ってきても忙しく、私たちはちょうど新しいアパートに引っ越し、慢性的な病気を抱えた猫を引き取ったところでした。私たちの生活はメチャクチャでした。この経緯をさかのぼると、なぜ私たちにとってセックスが優先事項ではなくなったのかを理解するのは難しいことではありませんでした。


でも、私はとても性的関心が高い人です。私にとってセックスは癒しの習慣で、困難な時期を乗り越えるのにも大いに役立ちます。私はふれあいを一種のセラピーのように楽しむタイプの人です。私のパートナーはというと、違うタイプです。彼はコミュニケーションが必須で、充電期間、そして落ち着いた状態でいることも必要です。人の性格にあったそれぞれの欲望のタイプがあるのは素晴らしいと思います。お互いの違いに向き合い、私たちはそれぞれのスタイルに対してよりオープンに対応するようになりました。


私たちがお互いの本当の自分を見せあうことが出来たとき、自分のセックスポジティビティの理解に根本的な問題があると気づきました。


フェミニストとして、大人になってからはセックスポジティビティや同意について一生懸命提唱してきました。それらについて全て理解していると思っていました。イエスの時はイエス、ノーの時はノーと言わなければならない。何が好きで嫌いかの境界線をはっきりと引き、そして性感染症についてもきちんと相手に伝える。今のパートナーと出会う前は、自分の性生活は完全に満ち足りていると思っていました。ほとんどの場合楽しめて、恥ずかしさやぎこちなさなく、自分がしたいことや、好きなことを相手に自信をもって伝えていました。


問題意識が高くて頭がいい、と自分をほめてあげたいくらいでした。それもセックスと親密さの経験が自分のものと完全に異なる人と出会うまでのことでした。私にとって、自分の欲求やニーズについてストレートに伝えることは自然なことです。彼の場合は、物事は彼自身のペースで一つずつ進んでいきます。自分がコミュニケーションをとっている相手が同じツールを持っていない場合、または単にそれがその人のセクシュアリティを探求するスタイルでない場合は、私の率直すぎる同意の表現の仕方はある意味彼にとってのストレスとなってしまいます。


その時私は自分の欠点について自問自答しました。私のセックスポジティビティの概念はほとんど自分の経験だけに基づいていて、他の人が同じ概念を全く違うように経験するという事実に考えが及んでいませんでした。私はアセクシュアリティ(またはエイセクシュアリティ、無性愛)がセクシュアリティの一部であるということを知っていました。熱烈なセックスをたくさんすることがセックスポジティビティの一部であるということも知っていました。しかし、セックスポジティビティには白黒はっきりつかない微妙なところもたくさんあるということを理解していませんでした。


人間は複雑で、この世界が誕生してから私たち人間は自分たちのことについて話し合い学んでいます。私たちは常に自分自身と周りの人々に対して責任を持つことの意味を学び、そして学びなおしています。このようなことに気づくことで私は性教育とセックスポジティビティは自分たちのニーズを造り、再び整理するという継続的な実践だと気づきました。


セックスに向き合うということはメンタルヘルス、身体的健康、スピリチュアリティ、そして文化的な慣習と向き合うことです。


同意を得るためには対話している相手も考慮する必要があります。このようなコミュニケーションの方法はその相手に適していますか?その相手は直接的な質問に答えるのが難しいと感じますか?あなた達二人はゆっくりと時間をかけて事が進むにつれてその都度お互いの意思を確認しながら理解を深める必要がありますか?



パートナーと深く絡み合いつながっていくほどに、全てがはっきりしていくようでした。私たちの性生活にはそれぞれが過去に経験した事によるものに加えて個々のニーズ、そして私たちの共同での欲求が含まれています。私たちの性生活には身体的な健康、日常のルーティン、感情、そしてニーズが織り込まれています。


私自身が自分を喜ばせることについて常に新しい学びを得ているときに、どうしたら私のパートナーに彼自身の欲求、ニーズ、空想などについての確かな答えを見つけることを要求できるのでしょうか。私にできることは成長と失敗、そして喜びとフラストレーションを迎え入れることのできる余裕のある関係を築くことです。


セックスは多くの人にとって人生の大切な側面ですが、完璧な性生活を実現するにはこの世界にあまりにも多くのプレッシャーが存在しています。残念ながら、このプレッシャーはセックスポジティブを支持するコミュニティにも広がっています。私はカップルが自分たちがしてみたい性行為をリストに書き出していくという活動に出くわしたことがあります。私の考えでは、性的な同意とつながりはそのリストに記入するのと同じくらい簡単でした。


これらの情報源は素晴らしいもので、パートナーとの対話のきっかけになり得ますが、手っ取り早い解決策ではありません。ポップカルチャーの中で表面的にみると、セックスポジティビティは問題の解決策のように見えますが、実際は継続的な自己教育であり、私たち自身とその周りの世界についての絶え間ない学びと学びほぐしの連続です。


「セックスポジティブ」という言葉を新しく造り出した人としてしばしば称賛される

精神分析医のヴィルヘルム・ライヒはセックスは実際には健康で良いことだと言っていました。世界中の文明でセックスをたたえる無数の芸術作品が生み出され、多くの古代文明ではセックスが神聖な力、つまり神とのつながりを象徴するとされていました。しかし、ここで心に留めておくべき本当に大切なことは、最終的にはセックスはそれぞれの個人に特有で親密な経験であるということです。


画面を通して自分の素晴らしい性生活を自慢する人々を見て、非現実的で問題を含むステレオタイプを描写するポルノを消費し、完璧なオーガズムを求める世界の一部になることは全て有害でないとしてもセックスネガティブな習慣です。


自分自身に触れて、最も愉しめるスポットを見つけることも自己探求の旅のほんの一面です。他にも探求しなければいけない側面がたくさんあります。例えば、自分の体にどれだけの時間をかけますか?運動と健康的な食事をする以外にあなたは鏡で自分自身を見ますか?そうするとあなたには何が見えますか?そして最も大切なのは、思いやりと優しさをもって自分自身に触れたときに何を感じますか?変に感じますか?それとも気持ちがいいですか?もしくはその両方?


私たちがセックスのエロティシズムを探求し始めるときに、多くの場合は、人生のエロティシズムを探求することも大切です。あなたの身体にとって快感は何ですか?日々の暮らしの中であなたのハートをドキドキさせるような気持ちは何ですか?


これらの質問をすると、自分たちがどれだけ体や自分の経験に鈍感になっているかに気づきます。どれだけ自分の体が緊張しているのか、本当に疲れているのか、もしくは喉を流れる冷たい水の感覚を楽しんでいるのかなど、私たちは自分自身に起こっていることもよく分かっていないときがあります。自転車に乗るときに顔にあたる冷たいそよ風は、セックスと一体なんの関係があるのでしょうか?


日々の喜びを感じることに自制をかけてしまっている状態では、素晴らしい性生活を送ることを自分自身に要求するのは難しいです。色々な面からセックスと向き合うと、喜びが私たちの生活の中でどのように役割を果たすのか理解できます。


私の経験から学んだのは、セックスについてのコミュニケーションはベッドで何をしてほしいか、どのように触れてほしいかを伝えることだけではないということです。誰かの日常での心配事に耳を傾けることも同じように大切だと学びました。相手がどのように触れることや親密さについて考えるかを理解するのも重要です。自分のパートナーに自身の喜びを得るように勧めるか、彼らのプライバシーを尊重して自身の時間にそれを行うことも同様に重要です。そして、セックスが私たちにとって何を意味するのかについて正直になるのが本当に大切です。


なので、もしあなたに一人もしくは複数のパートナーがいて性行為をするなら、パートナーにどんなことをするとドキドキするか聞いてみて下さい。あなたのパートナーが感じる最も楽しい瞬間とは何ですか?心の底からもっと欲しいと思わせることは何ですか?


もしかしたら、それがセックスポジティブな関係性を探求する素晴らしい道のりの始まりなのかもしれません。




翻訳 Mutsumi Ogaki

作品 Mikka Bea

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