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  • Mia Glass

A Look into the Phrase “I Hate Men”


ほとんどの女性が一度は「男なんて大嫌い」、と思ったことがあるのではないだろうか。


私の主張に科学的根拠がないのは十分承知しているけれど、なぜか私の周りの女性は、男関係で苦労しているように感じる。友達といる時も、イケてない男についてよく話したりする。頻繁なトピックで、多くの女性が持っているだろう感情にも関わらず、このような会話は公にされないのが現実。男性に対する色々な形の敵意は、ミサンドリー(男性への嫌悪)だとレッテルを貼られ、これを支持する女性は「狂ったフェミナチ」とも呼ばれてしまう。


友達に性的被害に遭った話や、聞いていて腹が立ってしまうような話をされると、ふと上記で述べた考えが頭の中をよぎる。けれど、フェミニストであるフランス人作家ポーリン・ハーマンジの “Moi les hommes, je les déteste” (「私は男性が嫌い」)という本を読んでから、なぜ自分がこのような考え方をするのか、深く考えるようになった。もっと言うと、この考えがジェンダー平等に対する私の信念を、弱めてしまうのではないかと考えるようになった。


この本と最初に出会ったのは、2020年8月に出版された直後に、France 24というフランスのニュースサイトに掲載されていた記事を見つけた時だった。当時、この本は明らかにヘイトクライムであるとして、フランスの男女共同参画省の特別顧問であるラルフ・ズルメリーから、撤収する必要があると反発されていた。しかし、彼はこの本を読まずに反発していたため、本の売り上げ部数によって彼の不満はかき消され、私は絶対この本を読むと心に決めた。


本が届くまでの間、ハーマンジのブログを読むことにした。投稿の1つに、彼女が男性と結婚していることについて書かれていて、その中でも私が特に気に入った彼女の言葉を載せたいと思う:


“Si votre mec ne trouve pas que la plupart des hommes sont des gros cons à cause de la société patriarcale, de leur éducation, et de leur propre fainéantise à se remettre en question… peut-être que lire mon livre lui fera du bien?”


私の拙いフランス語スキルで訳してみると、次のようになる:「もしあなたの彼氏が父権社会、教育、己について学ぶことへの怠惰によって、ほとんどの男たちが馬鹿であることに気づいていないのなら…私の本を読むことによって変わるのでは?」


私は彼女の言葉に賛成するばかりだった。私の男友達との会話中に、「男なんて大嫌い」と投げかけても、「男全員がそうじゃない」という返事をされない自信がある。もちろん男の人「全員」ではないけれど、文句を言えるほどの人数はいると思う。私が自分の考えを、「何人かの男性」に限定したとしても、ミソジニーが消えるわけではない。私は、「自分は優しい男だから」と言って、父権社会に当てはまらないと思っている男性ほど、フェミニズムの本を手にとってみる必要があると思っている。


ハーマンジはまた、「男なんて大嫌い」という言葉に対する色々な想いを持つ人に、この本を読んでほしいと述べている。この本は、車にピンク色の「男はゴミ」と書かれているステッカーを貼っている人だけではなく、男性との生活に満足している人や、ミサンドリーをサポートするかどうかいまいちまだ分かってないない人にも、読んでほしい1冊になっている。私自身「男なんて大嫌い」の言葉に対して、どれぐらいの想いがあるかあまり分かっていなかったけれど、この本に興味をそそられたことは確かだった。


この本の英語版が届いた時、私は真っ先に手に取り、最初の数ページを読むと、目に留まる言葉を見つけた:


「ミサンドリーとミソジニーを比較することはできない。なぜなら、ミサンドリーは後者に対して反応することによって存在しているから。」


ミソジニーは女性が暮らすシステムに埋め込まれているため、これら2つのアイデアは決して同じではない、とハーマンジは述べている。私たちの「男が大嫌い」な理由は、多くの男性が知らないうちに父権社会へと流れ込んでいるからである。しかし、女性が嫌われる時、その多くは…「女性だから」という理由。ミソジニーは、ある程度社会で受け入られてしまっているけれど、それに対する女性の不満がまだまだ受け入られていないのが、現実となってしまっている。


私がハーマンジの主張の中で最も説得力があると思ったのは、男性を嫌うこと=アンチフェミニストではない、と彼女が説明した時だった。実際は男性についてではなく(父権社会はそうさせようとするけれど)、自分自身を愛することや、他の女性たちをサポートすることについてである。この一見おかしく感じてしまうかもしれないアイデアを、彼女が以下の通りに説明している。


  1. 「平凡な男性と同じくらい自分に自身を持つことは、自分自身に優しくすると言うことも意味する。」

  2. 「(今こそ)私たちは、弱点のある人間であることが許されるべきである。男性に対する基準はとても低いけれど、女性に対しては高すぎる。ブサイクで、服装が完璧じゃなくて、下品で、意地悪で、怒りっぽくて、きちんとしていなくて、疲れていて、自己中で、無能なままでいる権利を確保してみてはどうだろうか…」


男を嫌うことは、彼らに責任を取らせることを意味する。それは、性差別的な冗談から責任逃げさせたり、最低限のことを成し遂げたことで称賛したりしないことを指し、自分にあまりきつく当たらないこと意味する。さらに、私たちが自らの権利を話す時に、ビッチ/サイコ/孤独/レズビアン呼ばわれされないことを意味する。そして、一人前の女性であることを祝福し、これを妨げるシステムを止めることを意味する。



翻訳 Yulia Ikumi

編集 Emiru Okada

グラフィック  Emily Mogami

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