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  • Sanae Tani

私がわたしをゆるすこと

 昔から、自分を許すということが比較的苦手だった。

 

 例えば週一回の習い事の前、本当は練習してから行かないと怒られてしまうのに、それをサボって友だちと遊んでしまったとき。先生にも怒られたけれど、それ以上に自分に対する失望感で酷く落ち込んだ。一度ぐらい良いでしょ、と許すことができず、楽しかったはずの友だちとの時間を、無駄だったと感じてしまった。

 あるいは大人になってから、環境を意識したりヴィーガンであることを心掛けていたのに、仕事の忙しさにかまけてそれがおざなりになってしまったとき。全然ヴィーガンじゃない冷凍食品を買い込んでしまったときなんか、信じられないほど落ち込んで、自分の中の決めごとすら守れないのかと失望した。


 周りから見ても決して完璧な人間だとは思わないけれど、自分の中の基準でぐらい、自分を完璧な状態に保っていたかった。

 

 そうやって小さなことでも自分にがっかりし続けて許せないでいた結果、とうとう心と身体のバランスを崩した。もちろん他にも要因はあったのだけれど、自分で自分を許してあげられないことが、自覚していた以上に心を疲弊させていたようだった。

 

 大好きだったファッションが、心底どうでも良くなった。今までは気分転換にお気に入りのカフェに行ったりしていたのに、そういう気分転換の選択肢がすっかり頭の中から消えてしまった。1日中ベッドから起き上がれなくて、何も口に入れないまま気が付けば翌日、ということもあった。逆にすべきことなんかひとつも無いのに、起きたまま次の日を迎えることもあった。皆がとてつもなく完璧に見えるからSNSを開くことすらできなくなって、LINEの返事なんて一番辛い作業になってしまった。数か月間、毎日ひたすらに虚無感と疲労感を感じていた。それなのに自分を奮い立たせて頑張れないことを、なおも許せないでいた。


 ある日、ぼーっとしていたら突然涙が出てきて、おさえられなくなった。

 実家に帰ろうと思った。


 実家に帰っても、しばらくは自分の状態を両親に言えなかった。ひどく心配させてしまうだろうし、家族の前ではいつも通りの自分を装えているような気がして、別に話さなくて良いんじゃないかと思った。でも久しぶりに両親と一緒に食事をとって、ゆっくり会話をして、少し夜更かしして一緒に映画を観たりしていたら、そのうち自然に打ち明けていた。


 話を聴いてくれた両親は、私をドライブや海に連れて行ってくれて、両親と飼い犬とのんびりできる時間を作ってくれた。自然の中で美味しいものを食べて、ゆっくり色んなことを話した。そういう時間を過ごしてようやく私は、完璧じゃない自分を許してもいいのかもしれないと思った。全然完璧じゃない私のことを、こんなに心配してくれて愛してくれる人たちがいるなら、きっともう少し肩の力を抜いて、多少何かができなくても許しながら、ゆるやかに生きていてもいいんじゃないかと思った。


 心と身体のバランスを崩していた間、当然のようにBlossomの記事も書けなかった。もしかすると書けなかった理由の中には、(あくまで自分の基準で、だけれど)なるべく良い記事を書かなきゃという思いもあったかもしれない。ちゃんと構成を考えて、引用する参考文献や記事を用意して見極めて、誰かに共感してもらえるような記事にしなくちゃ、と。


 だけど今回、初めて参考文献の無い、自分のことをだらだらと綴るだけの文章を書いた。起承転結も無いし、すてきなコンクルージョンも無いけれど、今回はこんな文章もまあ良いかもね、と自分を許してあげたい。勿論この記事には、同じように苦しんでいる誰かを元気づけてあげられるような助言なんか無いけれど、ほんの少し、誰かが自分に優しくなるきっかけぐらいになったのであれば上々なのかもしれない。


 何年もかけて形成してきた自分の性格や考え方は、ちょっとやそっとでは変わらないから、きっと完璧主義な部分をまったくゼロにすることはできないだろう。でも私は、ちょっとだけ肩の力を抜いて自分を許してあげることで、今すこしだけ楽な気持ちで毎日を過ごしている。完璧じゃなくても心も身体も元気でいることが、私とあなた、そして私たちの大切な人たちを、たぶん一番幸せにしてあげられる。




編集 Emiru Okada

グラフィック Ayumi White

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