わたしの彼氏は、フィリピン系アメリカ人のファーストジェネレーション、日本語で言うところの二世だ。両親がフィリピンから移民してきて、その子どもだから二世。
彼の周りを見渡すと、軍人という職業柄何世代もアメリカに住んでいて、移民から数えて何世代目か数え切れないような人ばかりかと思いきや、彼の仲の良い仲間は大半が同じ二世。
彼の帰省についていって、彼の地元の友達に会っても、やっぱりなんだかんだ仲がいいのは二世たち。あるいは外国からの留学生でアメリカへの帰化を目指す、未来の一世たち。
彼曰く、二世と三世以降の間には大きなギャップがあるらしい。
二世は、親が祖国の文化や習慣を守ろうとする中で育つ。彼の場合でいえば、子どもの頃から一番親しい料理はフィリピン料理、カトリックとして毎週末のミサは欠かさないし、州内各地とフィリピンにいる親戚との絆も深い。
彼自身のマインドとしては軍人である以上、忠誠を誓うのはアメリカ合衆国。でも育ってきた文化も家族の言語もフィリピンのもの。だから、自分の中に流れるアイデンティティはフィリピンな気もするらしい。でも彼曰く、自分はフィリピン系の枠から漏れている気がするらしい。フィリピンの言語は話せないし、考え方もアメリカ人。見た目は褐色のフィリピン人だけど中身は白い(白人アメリカ人のようという意味)ココナッツ、とたまに冗談を言っている。
彼のアイデンティティクライシスは、まさしく二世のそれそのもの。
わたしは、何世代も前から日本に住んでいる日本人の家庭に生まれたけれど、初めて渡米した時に、日本人としての自分のアイデンティティに疑問を持った。あるアメリカ人から「日本人というより、日系アメリカ人ぽいね。」と言われたことがきっかけだった。
それ以来わたしは、「〇〇人」という考え方に興味を持った。
「日本人ぽい」ってなんだろう?
顔つきがハーフっぽいと言われてきて、物事をはっきり言う性格だから、わたしは「日本人ぽい」から漏れるんだろうか?
こんな感じで、日本で生まれ育ってもなぜかわたしは勝手に一人でアイデンティティクライシスに陥った。だから、同じようにアイデンティティと忠誠に悩んだ、太平洋戦争中の日系アメリカ人の二世たちに深く心酔したのかもしれない。そして数年後に、何世代も遡ってみるとわたしの家族には海外にルーツがあるかもしれないことがわかって、なんだか少しほっとした。自分が悩んだのには訳があったのかと勝手に納得できたから。
そんな悩める日本人でアメリカに移住の可能性があるわたしと、悩める二世の彼のような、一世と二世の間に生まれた子どもは一体どの枠に入れるのだろうか?
アメリカ国籍を選べば三世、日本国籍を選べば二世、そんなに単純ではなさそうだ。彼が二世と三世を分けたように、二世と三世の間、一世とそれ以外の差は、わたしの想像以上に大きいのだと思う。
それに、日本ではまだまだミックスの人々に関する理解は進んでいく余地があるし、「ハーフ」と「純ジャパ」というように人々を分ける言葉が存在する。そもそも日本が単一民族で構成された国かどうかなんて誰も証明していないから、厳密には純ジャパは存在しないも同然なのに。
それに、日本ではまだまだミックスの人々に関する理解は進んでいく余地がある。「純ジャパ」と「ハーフ」のように、人々をまるで内と外の2種類に分けるような言葉が存在する。自分と他者、同胞と異国人のような分け方。
「ハーフ」ではなくて「ミックス」がより好ましい表現であるし、「純ジャパ」は「日本は単一民族の国」という本来何の根拠もない前提に立っている言葉だから、厳密には「純ジャパ」という存在はないも同然なのに。
「純ジャパ」という言葉は、自分を「純ジャパ」と認識する人から、自嘲のような形で使われることが多い。「純ジャパだから自分は英語が話せない」など。ただ、「純ジャパ」に込められた「純粋」という言葉が、海外での生活の経験の有無とは別の、ルーツに関する使われ方がなされることが増えてきて、ミックスの人々や在日外国人をネガティブな意味で周縁化してしまっていることは、あまり自覚されていない気がする。
わたしと彼のようなカップルの子どもは、少なくとも今の日本社会の中では、ミックスあるいは外国人として、社会から周縁化されるかもしれない。
アメリカではどうなのだろうか?わたしには分からない。彼曰く、フィリピン系としては三世っぽくなり、よりアメリカ人化すると思うとのこと。日本ルーツの面では、日本で過ごす時間の長さとわたしたちの育て方次第かもしれないと。日本語を話して日本食を食べて育ったら、たしかにフィリピン系というより日系に寄るのかもしれない。
でも、だからといってわたしたちの育て方で決まるものなのだろうか?それも疑問だ。見た目がどちらに寄るか、悲しいけれどそれも一因になってしまうだろう。
わたしたち親になる人間ができることはただ、子どもたちにできるだけ多くの選択肢を残すこと。わたしだったら、彼らが国籍を選ぶ年齢になるまでは、日本国籍を保持すること。二人でできることは、日本、フィリピン、アメリカ、三つの文化すべてに触れられる機会をたくさん作ること。他の国にもできるだけ旅に出て、いろんな文化や慣習を見せること。どこか別の環境で学びたいと願ったら、彼らを送り出せるだけの適切な知識と、十分なお金を蓄えておくこと。それくらいしかできない。あとは彼らが決めること。
悩むのは苦しいことだけれど、選択肢があるのはある意味でラッキーなことかもしれない。掴めるチャンスも多くて、決断に慣れていき、自分の軸をしっかりと持った人間になれるかもしれない。
子どもは親のエゴで生を受けるようなものだ。だから、子どもにできるだけ選択の機会と選択肢を用意するのが、親としての勤めかもしれない。
最近彼から、「両家の両親から、『どんな価値観や倫理を持って子どもを育てたい?』と聞かれたら君はなんと答える?」と聞かれて、二人で出したわたしたちの答えだ。
編集 Emiru Okada
グラフィック meitooso