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  • Karin Shimoo

『菜食主義者』を読んでみて


彼女の痩せた鎖骨、胸、明らかな胸骨、離れた太もも、それらの位置は不釣り合いなほど性的ではありません。


車が急カーブを曲がるように、私の女性らしさを決定づけたのはハン・ガンの『菜食主義者』を読んでからです。この本は長年の友人から偶然薦められたもので、駅のベンチで初めて本を開いた時はまだ、この本が私の自己イメージに与える影響を知りませんでした。冷たいベンチに座ったまま、その本の世界に没頭し、圧倒され、ヒリヒリと胸が痛みながらも、初めて気付かされました。


この本は韓国を舞台にしていて、ある日目が覚めたら、奇妙な夢に導かれてベジタリアンになった女性の物語です。この変化を受け入れることが出来ない彼女の夫は、惨めにも彼女を「治そう」としますが、失敗します。食の好みを変えるために始めたことが、両親、姉夫婦、数回の病院への通院、危ない性的空想の探求、裏切り、許し、放棄、そして女性らしさなど巻き込み、ねじれた試練へと変わります。

小説として全く飽きないので、確かに「面白い」です(女性の夫の想像力の無さと単純さを考えなければだけど… その話はまた今度)。


しかし、『菜食主義者』はエンターテイメントとして読むことはできないし、そうであってはいけません。エンターテイメントとして読む人は、自己意識が妨害され、強いられ、ズッキーニスパゲッティのように熱いフォークで突かれ、引き裂かれることでしょう。これは私が確かに感じたことです。なぜなら私にとってこの本の主要部分は、私が長い間感じていたことを文章で表現したものだったからです。



西洋で育ったアジアの若い「女性」(私が主張するには若すぎるかもしれませんが)として、「女性らしさ」という概念は複雑のように感じます。私は他の人にはあるくびれがなく、自分を小さな爪楊枝のように感じることがよくあります。西洋では私の身長は「かわいい」という印象を与える一方で、同年代の女性は「美しい女性」と呼ばれています。自己誘発のように、必死に大人の女性になった自分をイメージしています。その反面、アジア圏では私の振る舞いや考え方は際ど過ぎる、危険過ぎる、恐らく簡単過ぎると見下されてきました。でも言われたように控えめになった途端、周りは家に居たきりで日にちを数えているおばあちゃんみたいでつまらない、と言われるようになりました。私は十分大人になれないような、女性らしくないような、若すぎるような、老けすぎているような…


西洋と東洋の女性像に挟まれている私にとって、『菜食主義者』はそのような覆い隠された矛盾に初めて直面する体験となりました。 男性からのまなざし、社会的圧力、愛、性、快適さ、暴力、受容、そして女性同士の関係性が与える影響などを追求したこの本は、何らかの形で私の心に触れました。


本を閉じてからの数日間、私は友人にこの本を薦めたいと思いつつ、「まだ開ける準備ができていない、もしくは開けたくないかもしれない箱」を無理に開けさせているのかもしれない、とぼーっとした状態でした。結局は、薦めないことにしました (親友には勧めてしまいました…ごめんなさい)。だから、私は性別に関係なく鏡を見つめ、本当の自分の不安を考え、愛、親密さ、性の中で自分が何の役割があるかを認める準備ができている人には、薦めたいです。そして、あなたはこの本を好きになり、嫌いになるでしょう。



Source:

Kang, H., 2016. The Vegetarian. Hogarth.



翻訳 Kana Miyazawa

編集 Emiru Okada

グラフィック Satomi Shikano

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