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  • Zuhra Al Yarabi

完璧な存在

「私の完璧な赤ちゃん!」と叫ぶ保護者。

「このテストで満点取らなきゃ」と言う学生。

「私の顔って左右対称じゃないわ 」と友人に愚痴をこぼす人。

「君は頭が良さそうに見えない」と生徒に言う教師。

完璧とは何だろう?完璧とは何か、誰が定義するのだろう?私たちは完璧な存在になるために生まれてきたのだろう?これはいつ、どこで終わるのだろう?

私立学校に行くことの特権は、生徒たちに与えられた機会だが、もちろん、それには代償が伴う。卒業後数年経って、私はそう実感した。

私は毎朝、学校を休むための言い訳を考えていた。バカな子だと言われるかもしれない。でも、学校にいることに、強い嫌悪感を感じていた。いじめられて一人ぼっちだったため、ただ家にいたかった。でも皮肉なことに、その学校を選んだのは私だった。そこに行けば幸せになれる出会いがあると思い込んで、親に頼んで、通わせてもらっていた。そこで毒々しい競争を強いられていたとは知りもしなかった。


学年が上がるにつれて、自分が学校の文化に、「完璧な」生徒を好む教師たちの文化に同化してきていることに気づいた。完璧な生徒とは誰か?規則を守り試験に合格し、そして特に、風紀委員会のような組織で活動するような学生のことだ。私は辞めるまで、その一員であることを誇りに思っていた。そして辞めて優等生として認識されなくなった瞬間から、私はサバイバルモードに入ってしまった。目標はもはや何かを学ぶことではなく、先生から褒められ、認められ続けるために努力を尽くすことになっていて、そして気づけば、自分の完璧主義や不安との内なる戦いに陥っていた。「完璧な生徒」から離れれば離れるほど、不安を感じては自分が価値のない人間に思え、本来なら安心して自分の創造性を発揮し、学びの過程を楽しめるはずの環境の中で、自分がまるでペテン師のようにすら感じた。その当時私の自己認識は、先生たちが私を生徒としてどう思っているかに左右されていて、不安をコントロールしたり、振り払おうとすればするほど、もっと不安になった。人はこれを悪循環というのだろう。

要するに何が言いたいのかーこの話の教訓はー?

私は、そういうコントロールを手放す必要性を伝えたくて、これを書いている。

不安を感じて、向き合って、経験するーそのプロセスを避ければ安心できると言い聞かせて、自ら抱え込んだりしない限り、不安は永遠に続くものではないと自分に気づかせてあげよう。

そして、他人を喜ばせなくちゃいけないと思うのはやめよう。自分の能力や願望は、数ヶ月、あるいはたった数分だけあなたのことを「知っている」他人よりも、あなた自身のほうがよく分かっている。そう、たった数分であなたのことを判断するような、厚かましい先生だっているのだから。あなたの将来がああなる、人生がこうなるとか。

最後に、子供は周りと協力して育てるものだということを伝えたい。だから、見返りを求めない愛で、自信と勇気と生命力を育むような愛で、子供を育てよう。教育に従事する人は、褒めたり認めたりする以外の方法で、学生の努力を後押ししよう。どうやって?例えば、生徒との会話を通して、作品の進捗状況や完成品に好奇心を持たせる。自分が作り出した作品に、自身の声が反映されていることを認識させる。そして、「すごいね、誇りに思うよ!」というコメントから、「このプロジェクトを完成させるのに、一番好きなことは何だった? 」に変えれば、子供が自分の努力と、学びにおける自分らしさを、どう認識するかに影響を与えることができる。もちろん、これは対人関係における自己認識にだって影響し得る。




著者 Zuhra Al Yarabi

翻訳 Kyoko Itagaki

編集 Emiru Okada

グラフィック Claudi MacPhail

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