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  • Kokoha

橋の下のクィア


「レズビアンとゲイは仲が悪いって言われているの知ってる?」彼は目を見開いて私を見つめた。その言葉は真実とはあまりにもかけ離れていると知っているから、私たちは数秒黙った後大笑いした。


私たちはレズビアンとゲイであり、6年間ずっと親友だ。


私は7年生の時に親友と出会った。彼は奇抜で大人しい少年で、彼のその内気さは高い声でオペラを歌うときだけ消えるようだった。私たちの友情は、教室の後ろでの質問攻めと共に始まった。中学生になって2週間ほど経った時、彼は女の子に興味が無いのにも関わらず、うかつにも女の子の熱い愛の告白を受け入れたとウワサを聞いた。もちろん、その女の子は「運命の人」を見つけたと有頂天になっていたけれど、彼が彼女の気持ちに応えるつもりが全くないということを知ると可哀想で、何も出来なかった。私には関係ないことだと分かりつつも、私は彼に近づいた。

「自分を何様だと思っているの?彼女のことが好きではないことは残念だけど、彼女に嘘をつくのはいけないよ」

「悪いとは思ってるけど…」

「あなたは彼女に嘘がないと思わせた。謝りに行って、伝えて来な!」

「分かった」

私たちはこれを振り返ると、とても皮肉なので今となっては笑える。そしてこの対立が6年の絆にどう繋がったかは覚えていないけれど、この出来事が私たちの友情のきっかけになったと思う。


私たちの絆は混沌としたショッピングモールの中と、私の家の快適さの中で築いた。毎週末、私たちは商店街を何時間も歩き、飢えた目でウィンドウショッピングをしていた。私たちはマネキンを見て指さしたり、叫んだり、息を飲んだり、また全て同じ服をラックから手に取り試着室で試着していた。ヒョウ柄のショートパンツ、レインボーのベルト、野生の中で隠れようとしても1秒ももたない色の迷彩のパンツ。私たちにとってショッピングモール全部が私たちのものだった。どんなに醜い服でも、私たちはそれを活かした。最終的に購入した1%の服は私の家で着せ替えして遊んだ。黒のリキッドリップと鮮やかなピンクのアイシャドウを合せると、服が試着室で見た時よりもさらに良くなった。何千枚もの写真を撮り、鏡に向かってドラマチックなポーズを無限に考え出した。私の部屋は私たちの若く、活気ある精神の住処になった。私たちの友情は、奇抜で生々しく悪びれない。それを可能とする快適さで満たされていた。私たちはお互いを批判しないと約束し、常に理解し合っていた。


でも私たちは高校で別々のクラスになった。彼は1階のクラスで、私は3階だった。友情関係も少しづつ変わり、毎週の着せ替えの遊びも毎月へと変わった。それでも私たちは親友であることをやめなかった。集まる時は毎回自発的で、起こった事を報告すべきだと感じた時はいつでも、メールを送った。

「空いてる?」

「うん」

「駅で会おう!」

「いいよ!」

駅から私の家まで歩き、そして隣の川まで歩いた。川岸を1時間かけて歩き、突き当りの道路まで来るとそれを何周も繰り返した。昔ながらの穏やかな川、数匹の亀、7年生の私たちと同じ背丈の草など、1周するごとに景色は変わらなかったが、私たちは変わっていた。毎周ごと違うことを話し、時には笑って、時には歌って、時にはダンスをした。彼といると川が長いと感じたことはなかった。私はもっと足跡をつけたいといつも思っていた。


川の水が下に流れ、車が私たちの上を通る橋の下に自分たちの秘密基地を作った。ここで初めて、私たちは座って、自分たちの性について話したのを覚えている。私たちはお互いにカミングアウトはしなかったが、ずっと分かっていた。その代わりに、直面してきた痛み、傷、そして孤独について話した。日本でクィアの若者でいることは難しく、私たちはそのことを理解していた。学生時代、私たちは周りの子と同じように恋の悩みを打ち明けることは出来なかった。私たちはクラスメートが私たちよりも先にセクシュアリティを推測し、質問し、レッテルを貼るという無力な犠牲者であり、教師やクラスメートが「クィアな人たちは気持ち悪い」と言った時には、沈黙することを義務付けられていた。


でもあの橋の下で、2人きりでいれば安全だった。私たちは若くして社会から投げかけられたものからすべて遮断され、また自分の部屋に戻って、派手な服や化粧を試したような気がした — 悪びれることなくいよう。クィア。


彼は今東京の大学にいて、私もアメリカの大学へ行く予定だ。しかし、クィアネスとプライドに輝く私たちの心は、永遠にその橋の下に一緒に座り、慰め合い、支え合っている。




著者 Kokoha

翻訳 宮澤華菜

編集 岡田笑瑠

グラフィック Claudia MacPhail

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