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  • Kiana

私のその後 2: 事件から2ヶ月後の私の回顧録

内容注意:性被害について書かれています



これは、性暴力事件直後の私の回顧録。


 

何が悲しいのか分からない。雨の日の憂鬱なのか?

深くて潜ったら出てこられない、何か重たい感情。性暴力の被害者になったあの日から2ヶ月。


汚れていない、傷のない綺麗で幸せそうな同性の友人たちが羨ましくて仕方がない。私はもう彼女たちとは違う。


一生背負う、一生戦う傷。

弾丸のように一瞬でやってきたのに、貫通していなくなってはくれない、恐ろしく忌まわしい記憶と戦う。覚えていないからどれもこれも幻想、妄想、覚めない悪夢なのではないかと思う。覚えていない自分に刃が向いてしまう、そんな傷と記憶。


まだ醒めていないだけの悪夢だったらいいのに、と思う。毎朝起きるたびに、現実という醒めない悪夢に愕然と、呆然と、ただ悲しい。


毎朝何かに怯えて起きる。時々泣いていた。

正体不明の何かに怯えていて、初めはなかなか認識できなかった。


それは決定的にいつも悪夢だった。

誰かに(性的に)襲われる夢。知らない人の時、顔が見えない時はまだいい。

こんな悪夢を見るからか夜はたくさん泣いて、泣き疲れて寝落ちするまで眠れないことがとても多い。


もう正直犯人なんかどうでもいい。悔しさや怒りなんてどこかにいってしまった。それくらい自分のことで精一杯で、毎日生きるのに必死だ。


「今日もご飯を食べられた、よかった」「今日は怖いシャワーも大丈夫で眠れそうだ」「今日友達と食べたご飯はおいしかった」「今日は楽しみな未来の予定が増えた」「今日は仕事で褒められた」

毎日小さいことを、できるだけ大げさに喜んでいる。食べたものの写真を撮る癖ができた。


事件からの2ヶ月間の記憶はほとんどない。

何を食べたか、どこで誰とどんな話をしたか、誰がどんな優しい言葉をかけてくれたか。覚えていられない。どんどん消えていく。


こうして書いて、この感情を流していくので精一杯。書き留めて、誰かの目に留まってくれるのを願うことで精一杯。こんなに苦しいと思わなかった。消えてしまいたい、と思うなんて想像もしていなかった。


孤独で辛くて悲しくて、人を疑うようになった。

時間がたてば経つほど、いつまでも話を聞いてもらえる人がどんどん減るのは覚悟できていた。自分の身は自分で守らなくてはいけないし、人は一人で死ねなくても、自分の人生を自分で生きようとはしなくてはならない。自分の人生のオーナーは自分だから。


だから力を振り絞って、正義のためだと思って自分を奮い立たせ続けた。

静かに戦っていた。頑張ったと思う。よくやったと思う。

私らしいやり方で、勇気を出した。


「怖いと叫ぶことは迷惑に違いない。いつまでも頼れない」

そう思うから、事件のことを武勇伝のように話す自分がいる。

「来世まで後悔させてやる」とか、「この気が強い私が精神疾患だって笑っちゃうよ」とか、「きちんと証拠も考えもあって、諸葛亮顔負けの戦略家だと思う」とか。そう言って、聞いている人に深刻に捉えられないようにしている自分がいる。


本当は助けてほしい。本当は今すぐ、誰か頼むから、お願いだから、醒めない夢から私を起こして欲しい。


悲しいことにある日、死にたいと思った。目が覚めなくてもいいと思った。

ある時、何回か食事を抜いて完璧に空腹になった。お腹に何もなくなって、水分もなくて、生まれてはじめて、胃が空っぽなのを自分で認識した。


「このまま眠ればもう目を醒まさなくても良いのかもしれない」と思った。

でも気づいたら、目眩がする中で水を飲んで何か食べて、落ち着いてから料理までしていた。


人は一人では死ねないし、生きたい人はたくさんいるし、たくさんの感謝したい人たちに顔向けできないから、バチが当たると思ってできなかったのかもしれない。そうした理由すらもう思い出せない。


高いところ、大きな交差点、ホームドアのない駅、全部消えられる場所に思える。大好きな海に一人で近づかなくなったのも、たぶん同じ理由。


最近封筒を溜め込んでいたのはなぜだろうと思っていた。はさみを日没後に触れないからだった。どんなに小さな刃物も出しっぱなしにしない、夜は包丁を使えない。精神科の先生の「自分を自分で傷つけてはいけません」という言いつけを、私は私が認識しないうちに、しっかりと守っていた。我ながらしぶとい。


だけど、無意識とか覚えていないことが増えれば増えるほど、自分が時々願ってしまうとおりに、自分が消えていく気がする。自分は一体誰なんだろうと思う。ずっと遠くから自分を眺めている気分。鏡の世界に埋め込まれたみたいな感じ。


この客観視を私は、被害者と弁護人の自分と呼んでいた。

今は被害者の自分も弁護人の自分も、どっちも自分であってほしくない。邪魔でしかない。「サバイバー」なんて呼び方されたくない。そんなアイデンティティ要らない。ただ元通りの、あの日より前の自分に戻りたいと思っている。


「記憶喪失になりたいな」と思うことは何百回もあった。

どうせ自分を壊されたなら、もう別の私として新しく生きられる、記憶のない自分の方が楽なんじゃないかと思ったりする。


まあでも、そんなに都合よく記憶喪失にはなれない。

そして、この悪夢は夢ではなく現実。一瞬一瞬全部が私の人生。刻まれている。刻々と。進んでしまっている。


だから今こうして書いている。

自分から能動的に、主体的に、自分の人生として現在の記憶を記録に残している。


取るに足りないはずのたった1日の、あの日ほぼ初めてまともに話した、本来は至極どうでもいい彼らによる、たった数時間のちょっとした出来心でやった「おふざけ」で、私のたった一度の人生はこんなにも変わった。


笑顔がトレードマークだった私は、無表情になることが増えた。

忙しいのが大好きで予定が常にいっぱいだった私のスケジュールには、「泣いても大丈夫な時間」が「友達との時間」の代わりに新しく仲間入りした。


時を戻せないなら、いつか治ってくれ。そう願っている。

早く心から笑いたい、いつか愛したい人を信じて心から愛したい、日記なんか書かなくても日々の記憶をきちんと心で覚えていたい。


未来のわたしへ。今より少しは傷が癒えていますように。


 

一番辛かった、自己嫌悪の時期の回顧録。

他人のせいで傷ついたのに、自分を責めていた時期。

まだ起きたことを体が受け入れられなくて、頭で処理しようとしていた時期。


あの頃の私へ


悪夢の日々を何ヶ月もかけて乗り越えて、私はたぶん、新しい私になったよ。


「サバイバー」という新しいアイデンティティを受け入れて、書いてから一度も触っていなかったこの文章を、まだ見ぬ誰かのために世に出そうと決めた。

「泣いても大丈夫な時間」はスケジュールから消えて、こうして「誰かに伝えるために考える時間」ができた。


私をありのまま受け入れてくれる大切な人に出会って、人を信じられるようになった。心から愛することの素晴らしさを知ることができた。事件前と何も変わらず、ずっとそばにいてくれた家族や友人に心から感謝できる心の余裕がある。


それでもまだ、彼らと似たような顔立ちの人を見たりすると怖くなる。それがどんなに素晴らしいスターでも、見ず知らずの人でも。


カウンセラーさんからは、私は回復の段階まで来ていると言われた。でも「回復」は必ずしも「事件が記憶から消える」ことを意味しない。カウンセラーさんの言う通り、恐怖と回復は螺旋階段のようにぐるぐるとやってきて、だんだんと私の心の中から力を失っていくのだと思う。


そんな感じで、プロフェッショナルの力を借りて、たくさんの人に支えられて早くきちんと対処できたので、傷は広がりすぎずに、害のないかさぶたのような存在になった。助けを求められたあの頃の自分を、私は目一杯褒めたい。今はどんな恐怖やパニックに陥る状況に出会っても、私は対処の方法が分かっている。


だから私は大丈夫。最悪の時間を諦めずに毎日歩み続けてきてくれた私、ありがとう。


 

最後まで読んでくれたみなさんへ


ここまで長いこの記事を読み終えてくれてありがとうございます。


事件から数年経った今やっと、事件直後に書いたこの文章の公開を決めました。

どこかで公開するつもりなんて全くなかったけれど、今回の #私のその後 シリーズで私の経験したことを当事者としてできる限り発信するには、この回顧録が絶対に必要だと思ったので公開します。


この回顧録を通じて、性暴力被害者の感じる恐怖や、その他たくさんの感情を写し鏡のようにリアルに感じ取っていただけたら幸いです。被害者の感情を、文章を通じて情景としてイメージすることで、より多くの方が被害に遭わないために注意したり、あるいはちょっとした出来心で加害者となってしまうことを防ぐことができるようになったらと願っています。


みなさんと、どうすれば私のような被害者を一人でも増やさない社会を作ることができるか、#私のその後 シリーズを通じて一緒に考えることができたら幸いです。




著者 Kiana

編集 岡田笑瑠

グラフィック 最上えみり

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