• Lara Franco

ハッピーフェミニストになろう!




私は、誰かが性別やセクシュアリティが理由で差別され、傷つけられるような社会は絶対に許せないし、そんな現状を少しでも改善したいと心から思っている。大学では、女性学とジェンダー学の講義を熱心に受けてきた。ジェンダー平等の社会作りの為に、世界でどのような議論が行われているのか知りたくて、ニューヨークの国連本部で開かれるイベントにまで参加しようとした。それなのに私は、自分のことをフェミニストだと認めるのが嫌だった。周りの人間に自分がフェミニストだなんて言えなかったし、言いたくなかった。


愚かにも私は、自分のことをフェミニストだと定義づけるのが恥ずかしかったのだろう。そしてそれは、社会に浸透しているフェミニストの固定概念が自分の中にもあったからだ。これは単に私の勉強不足だが、フェミニストと聞いて思い浮かぶのは男性嫌悪や常に怒っているということ、それに可愛いものを崇拝してはいけないなどといった感じだった。自分をフェミニストと定義づけることで、周りの人間から上記のようなレッテル貼られることが怖かったのだ。それに私は可愛いものが大好きで、ミニスカートをよく履くし、いわゆる「女性らしい」格好を好んで選んでいる。男性嫌悪どころか、中学生の頃はボーイズバンドに夢中だったという過去すらあるのに、自分をフェミニストと呼ぶのは違うと思っていた。


 そんな時私は、ナイジェリア出身の作家チママンダ・ンゴズィ・アディーチェがTED Talkで行なった、 "We Should All be Feminists" 「男も女もみんなフェミニストじゃなきゃ」を観た。彼女はスピーチの中で、「以前フェミニストの意味を辞書で調べたことがある」と言い、そこにはこう書かれていたという––「フェミニストは男女間の社会的、政治的、経済的平等を信じる人のことである」。このスピーチを見てようやく私は、自分がフェミニストであると定義づけれるようになった。多くの人がわざわざフェミニスト・フェミニズムといった言葉を使うことを躊躇う。それはこの言葉の根底にあるものが、怒りだと思っているからではないだろうか。しかし私は、チママンダが人々にフェミニズムを訴えかける時、その根底にあるのが怒りであってはいけない、と知っていたのではないかと思う。スピーチの中で彼女は自身がハッピーフェミニストだと語った。また観客と視聴者に寄り添い、彼女自身も若い頃に染み付いたジェンダーにまつわる考え方を忘れようと努力しているが、ジェンダーに関する固定概念に直面すると自分の弱さを感じる、と打ち明けている。


彼女が大学院で創作を教えることになった際、講義の内容よりも何を着ていくかという事の方が心配だったという。彼女は一目置かれたいという思いや、女性であるがゆえに自分の能力を証明しなければというプレッシャーから、本当はリップグロスをつけて可愛いスカートを履きたかったのに、甘く見られないように真面目に見えて男っぽいスーツを選んだ事を後悔していた。そして彼女はこの経験から、自分が女性であることや女性らしさを二度と恥じないと語っている。


彼女のスピーチを観て私は今、ミニスカートを履いていても、ピンクが大好きでも、ボーイズバンドに夢中になっていた過去があっても、堂々と胸を張って自分自身をフェミニストだと思える。


このままでは、私が怒りをエネルギーにして突き進んだ時代のフェミニストたちを批判しているように思われるかもしれないが、決してそんなことは無い。むしろ私は感謝しなくてはいけない。怒りという感情は、最初のドミノを倒す為に必要だったパワーであることは間違いなく、当時のフェミニストたちが声をあげて戦ってくれたからこそ今があるのだ。ジェンダーに関する問題はまだまだ数多く存在しているが、私達はそれらの問題が怒りだけでは解決できない事をもう理解しているはずだ。私は男女間の社会的、政治的、経済的平等を信じるハッピーフェミニストである。



参考文献:


グラフィック Emily Mogami

編集 Emiru Okada

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